町火消しは遊興の徒ではなく、普段は大工・鳶・左官などの職人として働いていたため、高所の作業を伴う火消しに適役だった。火消しという勇気・胆力を必要とする危険な作業であることが義侠心を育て、町火消しは運命共同体的侠気集団になっていった。
江戸後期に町火消し同様大きな集団をなしたのが、賭博を生業とする博徒である。博徒は上級藩士の雑用を担う「中間部屋」から発したもの、目明し(町役人に雇われ犯罪人の捜査・逮捕に従事した者。岡っ引き)から発したもの、地方の農村博徒から発したものなどがある。
彼らはほかに職業を持たない専業アウトローとして、博奕を集結点にして集団を形成していった。江戸末期になると、博徒の目明しとの兼業を発展させ、体制側が博徒に十手を与えて警察力を代行させるようになる。
江戸末期には労働力供給業者としてのヤクザである人入が発達した。明治期になると、産業化によって炭鉱、港湾での下層労働にも同じように労働者を統率するものが出てきた。その中で最も有名なのが近代ヤクザの原型といわれる北九州若松港の親分、吉田磯吉である。
磯吉は筑豊炭田から若松港まで石炭を運ぶ船の船頭から始め、よそ者が大量に流入してくる炭鉱労働の現場でトラブルを回避し調停する役目も担うなどして、急速に力をつけていった。
同様の形で全国に近代ヤクザが成立していく。山口春吉が神戸で立ち上げた山口組もその一つで、港湾での荷役など下層労働を仕切る形で成長していった。
●みやざき・まなぶ/1945年京都府生まれ。早稲田大学法学部中退。週刊誌記者などを経て1996年、自伝『突破者』がベストセラーに。著書多数。近著に佐藤優氏との共著『戦争と革命と暴力』(祥伝社刊)がある。
※SAPIO2016年4月号