「雅子妃殿下の長引く療養生活が東宮家に大きな影を落としたためです。2013年には東宮大夫の定例会見で宮内記者会から“最近の皇太子殿下はなぜ公務が少ないのか。もう少しお働きになったほうがいいのでは”という質問が飛び出るほど、精力的に公務に勤しまれる秋篠宮家に比べて、私的な活動ばかりが目立つ東宮家の存在感は薄かった」(宮内庁担当記者)
会談で話し合われた結論からか、2015年からはそれまで天皇皇后が担ってきたこどもの日と敬老の日に関する公務は皇太子夫妻と秋篠宮夫妻に引き継がれた。
「秋篠宮ご夫妻は敬老の日に先立って予定通りに日本赤十字社総合福祉センターを訪問された。一方の皇太子ご夫妻は雅子妃のご体調の影響からか子育て支援施設『ゆったりーの』訪問の日程が二転三転。結局、こどもの日から1か月以上もずれ込みました。
これには秋篠宮殿下も皇太子殿下に不信感を抱かれたといいます。会談で話し合った結論を簡単に覆されたわけですから……。とはいえ、秋篠宮殿下も兄君に遠慮がありますから、足並みが揃わない日々がずっと続いていました」(前出・宮内庁関係者)
だが今回の神武天皇式年祭では、雅子妃を含めてそれぞれが役割を立派に果たした。
「最近の三者会談では、天皇陛下が神武天皇式年祭への強い思いを口にされたといいます。天皇皇后両陛下が自ら神武天皇陵に参拝する形式は100年前の大正天皇、貞明皇后のやり方にならったものです。
皇室にとって神事は伝統を継承する上でも重要な柱だと陛下はお考えです。だからこそ、陛下は伝統を守るため、100年前のやり方にこだわられ、皇太子殿下、秋篠宮殿下に話をされたと伺っております。両殿下は、陛下の並々ならぬ思いに“覚悟”を決められたのでしょう」(前出・宮内庁関係者)
この覚悟は雅子妃にも伝わったであろうことは想像に難くない。そして「天皇家」はひとつとなった──。
撮影■日本雑誌協会代表取材
※週刊ポスト2016年4月22日号