同時進行でSNSでも情報を発信していった。注目すべきなのは、市民に〈皆さんのお力が必要な時には、何をどこに持ってきてほしいとこちらからハッキリお願いしますので、その後に行動してください〉と支援物資の持ち込みを控えさせ、まず、義援金を呼び掛けたことだ。
なぜ、最初に義援金だったのか。
「『被災地のために何かしたい』、みんなが、そんな強い思いを抱いていました。しかし、ニーズがわからないまま支援物資を送れば、かえって混乱を大きくします。
夜を徹して物資の受け入れの準備を進める一方で、今できることを市民の皆さんに明確に示して、あふれる思いを行動に変えていただき、クールダウンすることによって、市民が個々、バラバラに行動を起こすような、いわば“暴発”を抑えることが必要でした。
そこで、義援金が被災者に分配されるまでには1か月以上かかるのはわかっていましたが、まず気持ちの受け皿として義援金の募集を前震の翌15日から始めました。そして、支援物資の受け入れも本震の翌日17日には開始できたのです」
【PROFILE】1974年、大分生まれ。1997年、KBC九州朝日放送に入社。ワイドショーや環境番組のキャスターを務める。2010年12月、福岡市長就任。現在2期目。
※SAPIO2016年7月号