術後の2012年7月から、陛下は前述の三者会談をより重視され、月1回のペースで行われるようになった。会談後のお食事には美智子さまがご一緒されることもあり、皇室の行く末についての陛下のお気持ちはご家族で共有されることになった。そしてその年の11月、秋篠宮さまは誕生日会見でこう明かされた。
「定年制というのは、やはり必要になってくると思います(中略)ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだんいろんなことをすることが難しくなって行きますので、それは一つの考えだと思います」
陛下やご家族の話し合いの中で、「退位」が現実味を帯びようとしていた。
昨年12月の誕生日会見で陛下はこう述べられた。
「私はこの誕生日で82になります。年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」
そのような状況の中で、今回の「生前退位のご意向」報道の決定的なきっかけともいえる出来事が宮中で起きていた。宮内庁は5月9日、陛下の公務を年10件ほど減らすことを発表した。
「当初、宮内庁が陛下に提示した削減案は現状の公務を半分ほどにまで減らすという大がかりなものだったそうです。しかし、陛下はその案をご覧になって、顔色を変えられたといいます。公務を何より重要視される陛下は“天皇である以上は公務をまっとうしたい”といつになく強い口調でおっしゃったそうです。半面、大幅な公務削減の提示に“私の体調が公務に支障をきたすならば、退位させてもらうしかない”と、『生前退位』のご意向を固められたといいます」(前出・宮内庁関係者)
陛下のご決断には、常に側で自らを支えてくれた美智子さまへの配慮もあった。頸椎症性神経根症による肩や腕の痛みを抱えられている美智子さまは、昨夏には心筋虚血による胸の痛みで精密検査を受けられた。
「陛下は自らが天皇として公務に励む以上、美智子さまにも心身ともに重い負担をかけてしまうことを心から憂慮されたといいます。ご自身の体調と美智子さまの健康、そして何よりも、天皇としての公務とのかかわりを熟慮された上でご決断を下された。5月中の三者会談の場で、陛下はご意向を皇太子さまと秋篠宮さまに伝えられたといいます。4年後の東京五輪を、新天皇のもとで迎えるべきだともお考えになられ、数年以内の実現を望まれているそうです」(前出・宮内庁関係者)
撮影■雑誌協会代表取材
※女性セブン2016年8月4日号