東京外国語大学の伊勢崎賢治教授によれば、いまどき国連平和維持軍(PKF)に部隊を提供するのは、外貨稼ぎ目的の発展途上国と、紛争を無視するわけにはいかない周辺諸国ぐらいとのことだ。先進国で南スーダンの部隊派遣に拘っているのは韓国と日本だけだという。世界の秩序維持のために各国が力をあわせて戦う、という大義も額面通りに受け取れない。
派遣された自衛隊員たちは、例えば、外貨稼ぎでやってきたどこぞの国の連中が地元の民兵に襲われた時、命がけで助けに行く。そんな理不尽な話があっていいのかと私は思うのだが、真面目な自衛隊員たちはきっと何かしらそこに意味を見つけ出し、あるいは自分を言い聞かせ、紛争地に赴く。
それで自衛隊員が戦死した場合、日本国内で湧き上がる騒ぎは容易に想像できる。右のほうからは「9条の制約で身を守りきれなかったのだ。改憲し、自衛隊を軍隊に昇格させよ」という声が、左のほうからは「戦争法制の犠牲者がついに出た。安倍政権が彼を殺したのだ」という声が、まるで議論にならぬまま飛び交う。自衛隊員の気持ちそっちのけで、相変わらずの罵り合いが行われる。
さらに、だ。もしも自衛隊員が誤って民間人を撃ってしまったらどうか。混乱の現場だから、ありえる話なのだ。そうなったら、事故を起こした自衛隊員は刑事犯として裁かれるという。軍法がない国なのでそうなってしまうらしいのだが、それはあまりにおかしいと改憲の流れが一気に進みそうだ。今の政府にはそこを狙っている気配がある。私は改憲反対ではないが、政治のために命が利用されるグロテスクな展開はまっぴら御免だ。
日本人は情にあついようで実は冷淡だ。事態が緊迫すると、強い意見にあっさりなびくところがある。当事者の思いを汲むどころか、まわりの空気に合せて考えもなしにお祭り騒ぎを楽しむ集団体質もある。
これからの私たちは、軍事問題でどれだけ理性的に現実と向き合えるのか、試されていくのだと思う。「駆けつけ警護」任務付与のニュースは、平和を祈るだけでは済まなくなった日本の8月の始まりだ。