木久扇:正式に黄色くなったのは、カラーテレビになったときです。テレビ局の人に「好きな色を選んで」と言われたので、ぼくは黄色を取り、歌丸さんは緑を取りました。
――黄色を選んだのは、なぜ?
木久扇:人の目に一番に入る色は黄色なんです。ランドセルのカバーとか、子供の交通安全の帽子とかは黄色でしょ。みんなは好きな色を選ぼうとしていたけど、ぼくは絵を描くから、一番目立つ色が黄色だと知っていて、真っ先に選んだんです。青などの寒色は縮んでいく色なので、小遊三さんの色は損だなと思って見ているんですけどね(笑い)。
――『笑点』以外でも、黄色を着る?
木久扇:着ません、普段は地味な色ですよ。でも印象は「黄色い人」ですよね(笑い)。上野の呉服屋さんが、成人の日の注文に色紋付が多くなったと言っていました。「木久扇さんの色にしてください」とか、「こん平さんのオレンジにしてください」とか。『笑点』効果なんでしょうね、呉服屋さんはびっくりしていましたよ。
【林家木久扇(はやしや・きくおう)】
1937年10月19日生まれ。東京出身。高校卒業後、森永乳業に入社。のちに漫画家を目指し清水崑を師事した後、三代目桂三木助に入門。1961年に八代目林家正蔵(のちの彦六)門下へ移る。1969年より、林家木久蔵として『笑点』(日本テレビ系)レギュラー。2007年、木久扇を襲名。今年6月22日、親子3代(林家木久扇、林家木久蔵、木久蔵の子のクミ・コタ)と元オフコース・鈴木康博が歌う『空とぶプリンプリン』リリースした。
撮影■浅野剛