人間は弱い存在だから組織を作らざるをえない。だが、組織が人間を作ることは絶対にない。これが、私がノンフィクションから学んだ最高の叡智であり、それをブントに引きつけて言うならブントは誉めても誉めたりない組織である。
それはブントが、岸以上に敵視した日本共産党を見れば、明らかである。
組織防衛のために査問やリンチを行った日本共産党に対し、融通無碍なブントは世界で唯一の学生主体の革命集団になる可能性を持った組織だった。彼らは日本共産党のやり方では人を殺すことになりかねないと直感して反共産党を貫いた。そのような奇跡的な組織がなぜ存在しえたのか。様々な分析が可能だが、最も大きな要因になったのはほとんど嫉妬心というものをもたなかった唐牛独特のパーソナリティではなかったか。
唐牛について書いた人物論はほとんどすべて「いつも明朗闊達で明るかった」と記している。しかし本当にそうなのだろうか。
唐牛は海産物商の父と函館芸者の母の間に生まれた庶子だった。いまとは違って、当時は庶子に対してひどい偏見があった。唐牛は豪放磊落に振る舞いながらも、過剰なコンプレックスを終生抱き続けた男だった。しかしながら、持って生まれた彼の細やかな神経と知性が多くの人々を惹きつけた。
左翼的な言葉をほとんど用いずに、好奇心丸出しで「何か面白いことはないか」というのが口癖だった。
唐牛はある意味では従来の革命運動では考えられない「不真面目」な男だったとも言える。唐牛も暴力を振るったが、後に左翼運動が陥った“内ゲバ”のような陰惨さはなかった。