◆人から人へ思いのボールを繋ぐ小説
そのヒーローのヒーローたる所以が、虚も実も甲乙つけ難い本書のドラマ性を支える。巨人3勝で迎えた1958年の日本シリーズ第5戦、10回裏に投手稲尾が放ったサヨナラ弾が〈神様、仏様、稲尾様〉の名文句を生む瞬間はもちろんのこと、ケガで野球を諦めたケン坊の〈ホームランが、打ってみたかったとです〉という夢を大下が叶えたある方法など、涙なくして読めない。
田宮も然り。洲之内が何者かに撃たれ、ある捨て身の行動に出る彼は、何しろスポーツマンシップ=任侠道と解釈する男なのだから。
「学のない彼にも彼なりの哲学や辞書があって、今の僕らが見れば損で愚かにも映るその選択が、田宮には当然の義理だったりする。
たぶん戦後から高度成長に入るこの時期、いろんなことが変わったんですよ。たかが野球に夢を託す人や、洲之内みたいな分別のある博徒も少なくなって、その後は箍(たが)が外れたように球界でも黒い霧事件が起きる。でもまだこの時代なら田宮みたいな男がいていいし、いてほしかったんです」