「AVビジネスは関東連合の大きな金脈だった。1997年頃、先輩のK君がAVプロダクションと飲食の経営で成功を収めていた。彼は関東連合メンバーではなかったけど、僕らの兄貴的存在で、六本木や西麻布での遊び方を教えてくれた人です。当時、K君は1本のギャラが2000万円近い売れっ子女優を5~6人抱えていた。
K君にとって女優は大事な『商品』であると同時に、『道具』でした。経営者、大企業幹部、格闘技団体運営者などを自分の店に呼ぶ際、VIP席を貸し切ってモデルや有名タレントなどを“ホステス”として用意するのですが、そこに“欲望のはけ口”としてAV女優も呼ぶのです。そうすることで、彼らは店で湯水のようにカネを使い、K君はカネになる人脈を広げていった」
柴田氏はK氏の「男の女に対する欲望は尽きない。女はカネに替えられる」という言葉に感銘を受け、自らもAVビジネスに乗り出した。
当時の関東連合に「男女交際禁止」という掟があったことも好都合だった。メンバー同士の争いの芽を摘み、組織優先にさせるためのルールだったというが、柴田氏は「女優に手を出せないから、皆を平等に管理できる。関東連合のビジネスに向いている」と考えたという。
関東連合が“経営”するAVプロダクション『M』が設立され、当時20歳の柴田氏は出資者兼スカウトマンとして参画した。
※週刊ポスト2016年11月4日号