◆戦闘員に昇格した
だが2004年頃、ミンダナオ島のアパートの改築を機にI氏は消息を絶ち、その後の足取りははっきりしない。Jさんや交流のあった現地邦人とも疎遠になった。知人たちの間で彼の名前が久しぶりに上がったのが、2010年7月の拉致事件だった。報道こそされたが、日本政府が救出しようとした形跡は窺えない。
拉致直後、フィリピンに渡る前に日本で結婚していた元妻を、所轄の警察官が訪ねている。元妻が言う。
「Iの近影写真を見せられて、“本人に間違いないか”と聞かれました。すごく痩せていたけど間違いなくあの人だったから、“そうです”と答えました。日本で身寄りがない人だから、何かあれば私に連絡が入るとは思います。結局、事情を聞かれたのはその時の一度だけで、その後は何の問い合わせもありません」
当初、公安当局はI氏の消息を掴むため、イスラム過激派に接触を試みていた。
「I氏を拉致したのはアブサヤフだと判明し、すぐに情報を探った。するとI氏がイスラム教に改宗し、複数の過激派組織と繋がりがあったとの情報が入ってきた。その後も、I氏は“アブサヤフのコックになった”“戦闘員に昇格した”などの情報も寄せられ、“彼は拉致被害者なのか?”という声もあがった」(前出・公安関係者)
そんな中、公安はI氏がアブサヤフのメンバーであることを示唆するような写真を入手したのである。I氏の現状について、スールー州警察の本部長はこう話す。
「I氏はアブサヤフのメンバーとして、医療関係の活動に従事している可能性がある。なぜ彼がそのような状況なのか、調査にはもう少し時間が必要だ」
去る10月、安倍首相は訪日したドゥテルテ大統領と会談し、フィリピンでのテロ掃討作戦を支持したばかりだ。日本政府がI氏の消息に興味を失う間に、彼がイスラム過激派のメンバーになっていたとなれば、日本国籍を有する者がフィリピン政府を相手にした不法行為に加担している、という構図になりかねない。公安の動揺には、そうした背景も透けて見える。
それでも外務省はI氏の現状について、「2014年9月に“アブサヤフに拘束されている日本人がいる”、と海外の通信社が報じたことは把握しているが、それ以上は回答できない」(邦人テロ対策室)とするのみだった。
拉致から6年。放置され続けたI氏の消息は、日比外交の大きな懸案事項になる可能性が出てきた。
●取材協力/水谷竹秀(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2016年11月25日号