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2016.11.26 16:00  NEWSポストセブン

元広島カープ「あの選手は今」まとめ by NEWSポストセブン

 2016年シーズン、広島カープが25年ぶりにリーグ優勝を飾った。現在まで多くの選手が入団し、チームを去っていったが、かつての鯉戦士たちは今、何をし、古巣の優勝に何を思うのか? 第2の人生を歩む往年の選手を訪ねた。(2016年11月26日更新)

◆木下富雄、長内孝は焼き鳥店オーナー


選手、コーチとして6度の優勝を経験した木下富雄氏

■木下富雄(1974年~1987年)

 木下富雄(1974年~1987年)は、1980年の日本シリーズでは第5戦から先発起用され、優秀選手賞を受賞。「パンチョ」の愛称で親しまれ、選手、コーチとして6度の優勝を経験した。

2016.10.15

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二軍監督を退任後、焼き鳥チェーンの店舗オーナーに

 2005年限りで二軍監督を退任後、妻のいとこが始めた焼き鳥チェーン『カープ鳥』の店舗オーナーになった。ある時、見慣れない客が訪れた。二軍監督時代に鍛え抜いて、再生させた東出輝裕の父親だった。「今の息子があるのは、木下さんのおかげです」と感謝された。「FAせず、広島残留を決めた直後に来てくれた。二軍監督をやらせてもらって良かったなと心底思いましたね」

2016.10.15

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優勝翌日は焼き鳥全品を無料提供

 優勝翌日は焼き鳥全品とドリンクを無料提供し、最大2時間20分待ちに。「9月は特に忙しくて5キロも痩せた」と笑った。

2016.10.15

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広島黄金時代を知る一人、長内孝氏

■長内孝(1976年~1991年)

 同じく『カープ鳥』の店舗オーナーになった長内孝(1976年~1991年)も、黄金時代を知る一人だ。1983年、阪急から移籍の加藤秀司を押しのけ、一塁のポジションを獲得。入団以来、毎日1000スイングを続けた努力が花開いた。

2016.10.15

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1984年の日本一に貢献

 古葉監督から「3番で行くぞ。外国人取らないから」と確約された翌シーズンは不調に陥り、新人の小早川毅彦にレギュラーを奪われる。それでも、阪急との日本シリーズ第7戦、1点リードを許して迎えた6回表2死満塁の場面で、一塁線の打球にグラブを伸ばして大ファインプレー。逆転日本一を手繰り寄せた。

2016.10.15

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コーチを退任後、焼き鳥チェーンの店舗オーナーに

 12年間務めたコーチを退任後、2006年に『カープ鳥』で半年間修業。強面で、自らも「人と話すのが上手じゃない」という長内は20歳近く年下の店長に教えを請うた。コーチ時代と180度逆転した立場に戸惑いはなかったか。「全くないですね。この業界では一番下なわけだし、何も知らない自分に教えてくれるわけですから。今でも、師匠には『さん』付けですよ」

2016.10.15

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古巣の優勝は店内のテレビで観戦

 汗を拭いながら懸命に焼き鳥を作る姿は、猛練習に耐えて栄光を勝ち取ったカープ戦士の生き様そのものだった。優勝は店内のテレビで観戦。あと1アウトの場面で客に「座って見んさい」とカウンター席に招かれ、胴上げ後に樽酒で乾杯したという。

2016.10.15

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◆川島堅は小平市で整骨院経営


3球団競合の末に広島に入団した川島堅氏

■川島堅(1988年~1994年)

 ドラフト前日に8球団から1位指名の可能性を伝えられていた川島堅(1988年~1994年)は、3球団競合の末に広島に入団した。1988年、高卒1年目の夏に一軍昇格。約1か月後、甲子園で先発・大野豊が打ち込まれ、中継ぎで初登板を果たす。
 実はコンタクトレンズを宿舎に忘れていた。捕手の達川光男は「バカたれ!」と一喝した後、「よし、わかった」とマウンドを去って行った。「胸の辺りで大きくサインを出してくれたんですよ。よく見えましたね。フォローの仕方が完璧でした」

2016.10.17

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横手投げに変えた3年目にヒジを故障

 1年目は最終戦で完投するなど上々の滑り出しだったが、3年目にコーチから「横手投げに変えろ」と指示を受け、約1か月後にヒジを故障。1995年から1年間台湾でプレーし、野球から離れる踏ん切りがついた。

2016.10.17

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野球で故障した経験が活かせると、柔道整復師に

 帰国後、大学へ行くか、資格の勉強をするか、商売を始めるか悩み抜いた末、少しでも野球で故障した経験が活かせると思い柔道整復師を目指した。カープのトレーナーに相談し、紹介された接骨院のグループ会社で朝と夜働きながら、昼は専門学校に通う日々を3年間続けた。月給は10万円程度。年下の院長に命令される立場になった。

2016.10.17

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東京・小平市で整骨院を経営する

「自分は何もできないと思い知らされ、給料があるだけでありがたかった」。謙虚な姿勢で吸収力の高い川島は新店舗の院長に抜擢され、8年間勤め上げた後、独立した。「自分のやり方を試したくなった。収入は減ったけど、充実しています」。川島は今、東京・小平市で一橋整骨院を経営する。初診料2000円から。「都心部の整骨院よりかなり安いですよ」

2016.10.17

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◆塚本善之、兵動秀治は競輪選手


元広島の塚本善之氏(左)と兵動秀治氏

■塚本善之(1988年~1990年)

 二軍通算7試合、防御率10.00──塚本善之(1988年~1990年)は広島を3年で解雇された。現役中は肩を痛めて、スコア付けに明け暮れる日々。21歳を迎える秋、他の若手選手が教育リーグに行っても自分だけは呼ばれない。解雇を予感した。「来季の契約は結ばない」と通告された後、1人残された寮で寂しく荷物をまとめ、京都の実家へ帰った。

2016.10.19

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競輪選手に転向

 鉄工所で働きながら、新たな職を探していた時、野球から競輪に転向した元広島・石本龍臣の元を訪ねた。「もう1度、自分の力で金を稼げる世界で勝負したかった。競輪の世界で強くなって、見返したかった」

2016.10.19

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32歳で初優勝し、野球を素直に見られるように

 32歳の時、初優勝を飾り、年俸は広島時代の3倍となる1000万円を超えた。その頃、意識的に遠ざけていた野球を素直に見られるようになった。「今では娘たちと一緒にマツダスタジアムに観に行きますよ。(同世代の)畝龍実コーチも声を掛けてくれます」

2016.10.19

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広島は3年で解雇も競輪は現役24年目

 広島は3年で解雇されたが、競輪では現役24年目を迎えた。「首を痛めた影響で右手に力が入らず、練習もできない。今年限りで引退します。まだ続けたかったけど……」。来年から、第3の人生が始まる。

2016.10.19

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■兵動秀治(1998年~2003年)

 兵動秀治(1998年~2003年)は、15年連続Bクラスという暗黒期の始まりである1998年、ドラフト2位で入団。2年目、引退した正田耕三の背番号4を受け継いだ。「最初は重みがわからず、ラッキーだなという感覚しかなかった」。首脳陣は主力に育てようとチャンスを与えたが、弱気の虫が顔を出した。「ベンチにいても、代打に指名されたくない。失敗したら二軍ですから。出番がなければ、まだ一軍に帯同できると考えてしまった」

2016.10.19

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ポジション争いで東出輝裕に敗れる

 二塁のポジション争いは、1年後に入団した東出輝裕に敗れた。「東出は、絶対にレギュラーを取るという意気込みがあった。僕は野球で飯を食おうという気持ちが足りなかった」

2016.10.19

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完全燃焼できず、30歳の時、競輪デビュー

 完全燃焼できなかった兵動は30歳の時、競輪デビューを果たした。「野球と違って、失敗してもすぐ二軍に落とされるわけではないし、数か月後のレース出場も約束されている。プレッシャーはないですよ。1年でも長く現役を続けたい」。レースで使う自転車は1台50万円ほど。転倒などで壊れると「修理代も自腹なのでつらい」と語る。

2016.10.19

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◆小林敦司は代官山でカフェを経営


チーズケーキが評判の店を開く小林敦司氏

■小林敦司(1991年~2000年)

 25年前、広島に入団した小林敦司(1991年~2000年)は2001年の引退後、東京・赤坂で料亭を営む父親の元で跡継ぎになるための修業を始めたが、考え方の違いから身を引いた。
 その後、縁もゆかりもないケーキ店に直接電話。職歴に「広島東洋カープ」と書いた履歴書を持参して、時給850円で初めてのアルバイトを始めた。

2016.10.18

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代官山に『2-3Cafe Dining』を開く

 若い女性社員に呼び捨てにされ、毎日のように罵倒された。手の洗い方1つでも注意される日々が4年半も続いた。「イラッとしたこともありますけど、やるしかないと思った。ケーキ屋で野球をするわけじゃないですから」。イタリアンレストランやカフェなどでも経験を積み、約10年に及ぶ下積みを経て、2011年に東京・代官山でチーズケーキが売りの店、『2-3Cafe Dining』を開く。

2016.10.18

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清原和博が訪れたことも

 3年前には、現役時代に頭に死球をぶつけてしまった清原和博がテレビの企画で店を訪れた。危険球退場の翌日に謝罪に行って以来、言葉を交わすのは2度目だった。「その後も、清原さんは番組への差し入れ用に頻繁に買いに来てくれました。僕は感謝の気持ちしかないです」

2016.10.18

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ハワイにお店を出すのが夢

 今年の休日は、正月と台風直撃の計3日だけ。旅行に出かけることもない。「楽しいからずっと働いています。いずれ、ハワイにお店を出すのが夢です」

2016.10.18

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◆長谷川昌幸はスポーツ用品店に勤務


低迷期のチームを支えた長谷川昌幸氏

■長谷川昌幸(1996年~2010年)

 2002年に13勝を挙げるなど低迷期のチームを支えた長谷川昌幸(1996年~2010年)。入団会見で「メジャーに行きたい」と宣言したり、金髪にしてヒゲを生やしたりとグラウンド外でも話題をさらい、首脳陣から「チャラチャラするな」と叱られたり、先輩に「だからおまえは……」と苦言を呈された。
「プレーで結果を出してナンボの世界。自分にプレッシャーをかける意味で、あえて奇抜な格好をしていました」

2016.10.18

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引退後、輸入時計ブランドの代理店を立ち上げる

 2011年に引退後、もう野球とは関わりたくないと、輸入時計ブランドの代理店を立ち上げるも、約4年でピリオドを打つ。その後、生命保険会社の営業職に就いたものの、性格に合わなかった。「あまり人に強く勧められるタイプじゃないし、友達に電話するだけで勧誘と思われるのが嫌でした。将来のビジョンも全くなく、しんどかったですね」

2016.10.18

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野球教室の縁から、現在はスポーツ用品店に勤務

 悩みを抱えていた昨年の夏、野球教室の話が舞い込んだ。その縁から、現在は『スポーツオーソリティ』の広島府中店で社員として働いている。週3~4日は店頭に立ち、月2回ほど野球教室で教えている。「引退から4年以上経って、野球への気持ちが再び湧いてきた。子供に教えるのがすごく楽しかったし、今は時計や保険ではなく野球用具の説明ができる。引退後、今が一番充実しています」

2016.10.18

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「でもやっぱり、テレビを点けてしまいました」

 25年ぶりの胴上げをどう感じていたのか。「最初は見ないつもりでした。それは……複雑な気持ちもありますから。一緒にやっていた選手が優勝を体験するわけですから……。でもやっぱり、テレビを点けてしまいました」

2016.10.18

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※文中敬称略。名前の後の()は広島カープ在籍年

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