「他団体が閉業に追い込まれたのは、改革が足りなかったからでしょう。毎公演、改革をしていくくらいでなければ簡単に潰れます」
設備も充実している。仮設テント横に付いている洋式の水洗トイレもきれいだ。とても仮設トイレには見えない。
「テントは仮設といっても、一張り四億する頑丈なものです。杭も普通は一二〇本でいいのですが、うちは六〇〇本使っています。ワイヤーもダブル、トリプルで張ってます。でも設営、撤収も早いですよ。水洗トイレは一か所、一四万円かけてます。冷房も完備して、デンソーやダイキンを入れています。舞台床も昔はおがくずを敷いていたのですが、今はスポンジにして出演者たちの足を痛めないように工夫しています」
まさに考えられる所は、全て改良してあるといって良い。
「ちょっと手を抜いたら、すぐにクオリティが下がりますからね。驕ってしまわないよう常に気を付けています」
そう言って自信を見せる木下社長だが、昭和四九年に経営を引き継いだ当時は借金だらけだった。
「一〇億くらいの借金があって、そのうち他のサーカスも次々に潰れていきました。うちも三年くらいは非常に厳しい状況でした」
変化のきっかけは、昭和五六年のハワイ公演だった。
「新しい芸をどんどん入れるようにしたのです。たとえば私が社長になった当時、団員はすべて日本人でしたが、外国人も入れるようにしました。うち(本社・岡山)の近くでは宝塚が一流ですから、その振り付けを入れるようにしたり。演出のジョンとも大分話し合ったのですが、日本人は足が短いから西洋風の振り付けは駄目だと言われたのですが、どうしても華やかな女性ダンサーを登場させたくてね。動物も大変です。キリンなんて普通は暴れて芸なんかできませんよ」
そういえば、動物園でもなかなか見られないホワイト・ライオンに芸までさせていた。動物愛護の問題で、動物芸は世界的に縮小傾向にあるが、木下サーカスにそんな逆風は関係ないかのようだ。何より観客を喜ばせたいという思いが伝わってくる。
【プロフィール】
木下大サーカス●1902年に初代・木下唯助が創立。2016年で114周年を迎え、累計で1億人を超える人々が公演を鑑賞している。
うえはら・よしひろ●1973年大阪府生まれ。『日本の路地を旅する』で大宅賞受賞。近著に、『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』。
※SAPIO2017年1月号