「当時は西洋風なものへの憧れがものすごくありました。雑誌を開くと、アメリカやヨーロッパの人たちのファッション、広々としたリビング、大きな冷蔵庫やオーブンのあるオシャレなキッチンが載っていて、ナイフとフォークで食べる料理にも興味津々でした」(82才女性)
1957年頃の日本は、戦後の食糧難を脱したばかり。その前年に経済白書が「もはや戦後ではない」と発表したが、当時の国民栄養調査では「4人に1人が栄養失調」と指摘されていたほどだ。洗濯機、白黒テレビとともに「三種の神器」と呼ばれた冷蔵庫の普及率はまだ10%以下だった。
そんな中でも、人々は“おいしいもの”“新しい味”を求めていた。
和食の作り方は母親や姑に教わったけれど、洋風料理はどうやって作ればいいのかわからない…冒頭の“ハイカラ”なメニューは、当時の主婦たちのそんな欲求を背景に生まれたものだった。
平野家では父親が母とレミさんたち子供をレストランに連れていったという。
「一緒によく銀座のお店に行きました。母がお店の人に調理の仕方を教わることもあって、ステーキの焼き方は帝国ホテルのシェフに教えてもらっていました」(レミさん)
それと同じような役割を『きょうの料理』は果たしていたのだろう。1979年から現在まで『きょうの料理』の番組制作にかかわっている、現在フリーディレクターの河村明子さんは、過去に番組で紹介されたメニューを調査した経験からこう語る。
「放送開始当時の主婦にとって、和食ができるのは当たり前。芋の煮っ転がしの作り方を紹介しても、“そんなのおばあちゃんから聞いて知ってるわよ”となってしまう。だけど洋食や中華は、誰にも教わったことのない憧れの味。主婦にとってすごく新鮮だったと思います」
“未知の味”を教えてくれる講師陣は、料理研究家の江上トミさん、飯田深雪さんら、アメリカやフランスへの留学経験がある人ばかりだった。