だが、大映も七一年に倒産、時を前後して東映に戻ると、そこでは他社から移籍してきた菅原文太らがスターになっていて、松方は後塵を拝することになる。
「で、またうだつが上がらなくて。それでも平気でした。人生をそんな真剣に考えていませんもの」
それでも、七三年に始まる『仁義なき戦い』シリーズなどで文太の脇役として強烈な印象を残したり、七四年のNHK大河ドラマ『勝海舟』で病気降板した渡哲也の代役を務めるなどして脚光を浴び、ようやく主演スターとして名を連ねるようになる。
そして八〇年代以降、高倉健、菅原文太、北大路欣也、渡瀬恒彦といった東映を支えたスターたちがやくざ映画から離れる中にあっても、松方は時代に抗って、ただ一人でアウトロー映画の孤塁を守り続けた。
晩年は時代劇の良き時代を知る継承者として、培ってきた芝居や殺陣で若い俳優たちを圧倒すると同時に、インタビューを通して現状に警鐘を鳴らしていた。
「昔の映画の所作事が素晴らしいのは、時間をかけているからです。時間というのはお金です。お金があったらもっと画はよく撮れます。僕らの若い時はテストを二十回やってくれましたが、今は一回か二回ですから。それでは上手くなりません。今の映像は金がないのが全てです。俳優が悪いんじゃない。体制が悪すぎる。悲しいです。いい時代を見ているだけに、今のテレビドラマや映画の現場に行くと、悲しい」
真摯に、誠実に、そして熱く。役者という仕事と映画・時代劇に真っ直ぐに向き合い続けた生涯だった。
※週刊ポスト2017年2月10日号