とんかつは、それぞれ好みがあると思うので、どの店が最高だとは軽々しく言えませんが、思い浮かぶ店をあげていきますと、まず上野には、小津安二郎の愛した「蓬莱屋(ほうらいや)」、箸で切れる「井泉(いせん)」、安くてうまい「山家」、「ぽん多本家」(ここはカツレツというそうです)があります。浅草にも「ゆたか」という美味しいとんかつ屋があります。
新橋「燕楽(えんらく)」、銀座「梅林」、川崎「とんQ」、新宿「王ろじ」、神保町「いもや」、目黒の「とんき」は、シャキッとした気分でとんかつに挑めます。鳥越のおかず横丁の「松屋肉店」は持ち帰り専門ですが、頼むと、目の前で揚げてくれます。これが旨かったのですが、閉店してしまったみたいです。
このような王道とんかつ屋の中で、わたしが好きなのは、秋葉原にある「丸五」です。カウンター席に座って、キッチンの中の職人さんの作業を眺めていると「やっぱ、とんかつは良いな」と、しみじみ思います。ここには、らっきょと梅干しのツボがあって、それをつまみながら、お茶を飲んで待つのも楽しいひとときで、とんかつが揚がる油の匂いを嗅ぎながら、「さあ今日は、どんな配分でキャベツと飯を食べようか、おかわりはどうしよう」と真剣に考えます。
そして、運ばれて来たとんかつを前に、大きく息を吸い込み、「ぼくはカツが大好きなんだ」と心の中でつぶやきます。こんなことを書いてたら、とんかつが食いたくなってしまった。明日食いに行きます。
ちなみにとんかつは、「食べる」ではなく「食う」ですね。
●いぬい・あきと/1971年東京都生まれ。作家。「鉄割アルバトロスケット」主宰。2008年小説家デビュー。『ひっ』『ぴんぞろ』『まずいスープ』『どろにやいと』が芥川賞候補に。『すっぽん心中』で川端賞受賞。著作『俳優・亀岡拓次』が映画化。現在DVDが発売中。『のろい男 俳優・亀岡拓次』で野間文芸新人賞受賞。散歩ばかりしている。
※週刊ポスト2017年3月10日号