◆患者に寄り添えない医療
須田医師は、終末期の患者はどう医療と向き合っていく必要があると考えるのだろうか。看取り現場に携わる経験を交えて語る。
「病院ではできないけど、家に連れて帰れば、ある程度好きにできるとは思いますよ。いまは自宅でも人工呼吸器をつけられるし、胃ろうだってできる。少し(栄養剤を)減らそうなどと、ご家族が判断する分には構わない。だって、ご飯食べたくなさそうな人に無理にあげないでしょう。吐いたりすることもあるし。経管栄養をはじめたら本人が抜いてしまったこともある。
そんなとき、病院なら複数の医師の判断が必要ということになりますが、在宅なら『本人が嫌がっているなら入れるのはやめようか』と、ご本人やご家族の意志で決められる。余計なことをしないほうが、患者さんも楽そうに見えますね。よくなる可能性があるなら、最新医療を追求すべきですが、うまくいかないのなら早めに手を引くことも考えてみる。追求しすぎるとかえってくたびれてしまうでしょうから」
チューブを抜いたり、薬を減らしたりすることで病状が回復することもあるという。須田医師が力点を置くのは、治療における“試行錯誤”の重要性だ。
「何かのきっかけで食欲が落ちて衰弱していただけで、一時的に点滴や経管栄養を行なった後にそれをやめたら、元気に復活する人もごく稀にいるんです。だから、一度延命治療をやめてみて様子をみることには意味がある。
もし元の悪い状態に戻ったとすれば、その延命治療なしでは生きられないということで、再開するかどうかを考える。これはやってみないとわからないので、試行錯誤してほしいんです」
須田医師は、川崎協同病院事件で自らが受けた判決によって、医師がチューブを抜くべきかの判断に迫られたときに、“リスクを回避して無難な判断をしておこう”と考えてしまわないかにも、危機感を抱いているようだった。
「医療者は患者に寄り添えなくなってしまった。司法が寄り添えない医療にしてしまったのです」
事件のあった20年前から高齢化はさらに進んだ。どんな死に方を許容する社会が望ましいのか──須田医師の事件が提示する問いの重みは、20年前よりも増している。
※週刊ポスト2017年3月10日号