延命治療を無闇に続けることには、やはり反対の立場だ。一方で、その考えが諸外国に比べて日本では広がらないという現実も直視している。
「欧米で安楽死(合法化)が進むのは、自分たちに覚悟があるからでしょう。一人ひとりの意見がしっかりあって、周りに影響されない。日本は周りを見ながらの生き方というか、他人任せにしているところがある。家族も本音では『いい加減、終わりにしてほしい』と思っていても、なかなか口には出さない。
むしろ、『病院に任せているんだから、先生のいう通りにしておくのが無難だろう』とか、『在宅医療で早く死んだら、ちゃんと手当てしなかったと疑われるんじゃないか』とか、人がどう見るかに引きずられやすい。本音をいうことがタブーになってしまっていることが気になりますね」
本人が望まなくても、延命治療が続いてしまう典型例として、須田医師は、救急医療を挙げる。
「もしいま、ここで人が倒れて息が止まっていたら、救急車が呼ばれて、人工呼吸が始まります。挿管して人工呼吸の処置を受けることになりますが、それは延命治療の始まりを意味しているのです。
一度始めたとしたら、意識が戻らない場合、どこで止めるべきなのか。救急の場合、親族に相談なしで延命治療が始まることもありますからね。ただ、それをやらなかったら救急医療は成り立たなくなるのも事実です」
それはつまり、どこかで治療を「止める」という判断が必要になることを意味するが、それは罪に問われる可能性がある。
日本ではこれまで、川崎協同病院事件だけでなく、末期がん患者に致死量の薬物を投与した東海大学安楽死事件(1991年)や、心肺停止の高齢患者から人工呼吸器をはずした北海道立羽幌病院事件(2004年)など、安楽死・尊厳死にかかわる事件が起きてきた。
そういった事件を受けて、厚労省は2007年に中止できる治療法を記した『終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン』を公表し、医療の現場では徐々に延命治療の中止が検討されるようになっている。ただ、ガイドラインは法的根拠があるわけではなく、過去の事件では医師が有罪になっているため、延命治療の中止をためらう医師がいるのも現実だ。