◆「ケニア人と同じ練習じゃダメ」
そこには箱根駅伝が視聴率30%に迫る人気を誇っていながら、それがマラソン強化に全く結びついていないことへの複雑な思いもあるのだろう。
ただ、箱根駅伝の強豪大学では実業団に劣らない最新の練習法が取り入れられている。箱根3連覇を達成した青学大の原晋監督(49)は、体幹トレーニング(青トレ)の導入で結果を出したことが知られている。佐久長聖高(長野)で大迫傑(リオ五輪5000m・1万m代表)らを育てた現・東海大の両角速監督も、最新の低酸素・低圧トレーニングを取り入れている。
そうした流れにも、瀬古氏の信念は揺らがない。
「科学的トレーニングというのは、それはそれでいいが、練習量をこなせる体を作ってからでも遅くない。ケニア人は年中高地で暮らしているうえに生まれつきのバネが違う。同じ練習をしても歯が立ちませんよ」
結論を急ぐように、瀬古氏はやおら両手を広げた。
「まずはスタミナをこのくらい作る。そしてちょっとスピードを意識した練習をする(両手の空間を狭める)。そしてまたグッとスタミナをつける練習をして……と繰り返していけば体はできてくる。そこからですよ」
瀬古氏のイメージは仕上がっているように見えたが、本当に今のマラソン界を救う改革案になり得るのか。「42.195km区間導入論」の是非を識者たちに聞いた。
「劇薬だけど妙案ね」と賛意を示すのは、1984年ロサンゼルス五輪に女子マラソン代表として出場したスポーツジャーナリストの増田明美氏(53)だ。
「高校3年までは長くても10kmのレースまでしか走っていないのに、大学に入っていきなりフルの距離まで伸ばすと選手の怪我が心配です。でも、とにかくマラソンは距離の練習をしないと世界が見えない。それは、競技者だった実感として理解できる。瀬古さんが現役だった頃の練習風景は、修行僧のようでしたから」
かつて瀬古氏を指導した中村清・早稲田大監督(当時)は、陸軍中野学校出身の元軍人だった。合宿中の千葉県の砂浜で、部員たちを前に「お前たちが世界一になれるならこの砂も食える」といって砂を口に放り込んだ熱血漢。とにかく距離を積ませた。瀬古氏は練習量に裏切られることなく、大学3年次に出場した福岡国際マラソンで初優勝。
「ただ、この指導法は師弟関係が美徳とされた時代だからこそできた。情報も多く自由な今の若者はついてこないでしょう。そこでいうと、原監督は“若者のやる気を引き出す指導”がうまいのよ。町田の寮に行くと、選手が授業や彼女の話などをしながら、ずっとバランスボールで体幹を鍛えている。中村監督の頃はなかったスタイル。瀬古さんも、原さん世代の指導者と連携して新旧の指導法をうまく組み合わせてやってほしいわ」(増田氏)
※週刊ポスト2017年3月17日号