実は盧武鉉政権時代にはこんなことがあった。政権3年目(2005年)の年末、大統領官邸で外国人記者を招いての大統領主催の晩餐会があった。筆者にも招待状が来たが、晩餐会の前々日になって広報担当官から電話があり「来なくてもいい」というのだ。
理由は述べず「そうなったので了解してほしい」という。「来るな」というのに「行かせろ」などと物欲しそうなことはいいたくない。「こっちだって年末は忙しいのだ。イヤなら最初から招くな。時間がムダになった」とイヤ味をいって電話を切った。
後で取材したところ、筆者が疎まれ排除されたのは「日本の雑誌に書いた記事内容が官邸当局に伝わり、側近たちが腹を立てたから」だと分かった。その記事とは当時、筆者が『SAPIO』に書いた盧武鉉大統領の反米外交に対する批判だった。
本コラムは当時、盧武鉉政権の反米、反日、親北政策をこっぴどく批判した。以降、筆者は大統領官邸から排除された。当時のコラムは来るべき“文在寅政権”の政策を予測する格好の材料になるだろう。コラムは後に『ソウル発これが韓国主義』(2009年、阪急コミュニケーションズ刊)にまとめてある。参考にしてほしい。
さらに盧武鉉時代にはこんなこともあった。もっと個人的なことだが、当時、ソウルの自宅近所にある西江大学で3年ほど客員教授をした。日本の上智大学に相当するカトリック系の大学で、頼まれて日本事情を教えていた。ところがある日、突然、左翼系の『ハンギョレ新聞』に「クロダ・サンケイ記者が不法就労、国外追放も」という記事が出たのだ。
つまり、こちらは奉仕活動のつもりだったのに、「手当をもらっているから記者の資格外活動で入管法違反」というのだ。調べてみると、左翼系の学生会が「日本の極右言論人に講義させるのはケシカラン」と新聞社に垂れ込んだらしい。