「良い人だとは思いました。でも、政治家の家庭は大変な気がして、おつきあいをするのも最初は気乗りしませんでした」
見合いで双方の合意があれば半年、1年待たずゴールインするケースもあるが、ふたりの結婚までは出会いから3年を要した。安倍家を知る関係者が当時を振り返る。
「外相秘書官として海外を飛び回り、多忙だったという理由もありますが、晋三さんの方が結婚に逡巡している様子がありました。ほかに意中の人がいたのか、まだ身を固めるのは早いと思ったのかはハッキリしませんが、なかなか踏ん切りがつかない様子でした。一方で昭恵さんの方は、徐々に晋三さんに夢中になったようです」
実は当時、昭恵さんの実家は創業以来の危機を迎えていた。1984年に世の中を大きく揺るがしたグリコ・森永事件。「かい人21面相」を名乗る犯人グループが江崎グリコや森永製菓などの毒入り食品を店頭に置くなどして、多額の現金を要求したのだ。
犯人逮捕のメドが立たず、窮地に立たされた森永製菓にとって、「政界のサラブレッド」と社長令嬢の交際は一族を安心させるニュースだった。
昭恵さんの母・松崎恵美子さんは以前、本誌・女性セブンの取材にこう語った。
《いちばん大変な時期で、もう本当につらくてつらくて。私たちがそんな思いをしていたから、昭恵にはとにかく幸せになってほしかったんです。そこに晋三さんが現れて、うちにとっては一筋の光明というか、希望の光を見いだした感じがしましたね》
一方で当時、安倍家も重大な岐路を迎えていた。「昭和の妖怪」と呼ばれた晋三氏の祖父・岸信介氏の病状が悪化していたのだ。
「当時、90才になる岸氏は風邪をこじらせて入院し、死期が迫っていました。そこで岸氏の娘で、晋三さんの母である洋子さんが、“存命のうちに早く結婚式をあげなさい”と晋三さんに迫り、急遽、結婚する日が決まったんです」(前出・安倍家を知る関係者)
1987年6月、岸氏の死の直前に安倍首相と昭恵さんは新高輪プリンスホテルで結婚式を挙げた。披露宴では、アグネス・チャンが『草原の輝き』を歌った。学生時代からアグネスのファンだった安倍首相たっての希望だった。
1991年に父・晋太郎氏が急死したのち、安倍首相は1993年の衆議院選で父の地盤を引き継いで初当選を果たした。
※女性セブン2017年4月30日号