同様に知識社会では、低学歴=低収入の因果関係も顕著だ。この不平等を教育によって是正しようとするなら、返済不要の給付型奨学金は「成績の悪い子ども」にこそ必要なはずだ。
だが不思議なことに、この「正論」を主張する教育者はいない。それは彼らが、知能が遺伝する、すなわち「成績の悪い子どもに税を投入しても効果がない」ことを知っているからにちがいない。これもまた、典型的な自己欺瞞だ。
「北欧のように大学も無償化せよ」と主張する、さらに過激な教育者もいる。彼らがぜったいに口にしないのは、北欧の大学は日本とまったくちがうことだ。
たしかにスウェーデンでは大学の費用はすべて国庫負担だが、そこでは文学や哲学などの一般教養は教えない。学生が学ぶのは「実学」で、そこで取得したMBA(経営学修士)などの資格が会社で昇進や昇給に反映される。北欧の大学は(高度な)職業訓練校なのだ。
こうした実態を知ると、なぜ北欧企業が大学教育の無償化を受け入れているかがわかる。彼らは自分たちで社員教育をせずに大学に「外注」し、そのコストを税で払っているのだ。
だとすれば、日本で大学を無償化するには、一般教養から実学へと教育内容を根底から変えなくてはならない。しかしレジャーランド化した日本の大学では教員の多くが一般教養しか教えられないのだから、彼らは職を失ってしまうだろう。
これが、「北欧の大学はなぜ無償なのか」を納税者に説明するのを拒否し、「大学に行けない子どもがかわいそう」というお涙ちょうだいの物語をひたすら垂れ流す理由だ。では、「格差社会」に対処するにはどうすればいいのだろうか。