この人材育成のシステムで後に“竹下派七奉行”と呼ばれた小渕恵三、橋本龍太郎、羽田孜、小沢一郎、梶山静六といった人材を輩出し、時代の要請に合った多くの政策が田中派から出てきたことは事実です」
田中派の復活が現在の自民党を大きく変えるインパクトを持つ可能性があるのは、そうした田中角栄氏の政治手法が安倍政治のアンチテーゼでもあるからだ。小林氏は角栄氏の手法は「下からの政治」だったという。
「角栄氏は派閥議員に『地元に行けばわかる。不満を吸い上げてこい』と指導していた。141人の議員たちが地元に戻って、全国から不満や陳情を持ち帰る。それを派内で議論し、政策に仕上げていく。国民のニーズに応えることに田中派の強みがあった」
一方の安倍晋三・首相はその対極にある「上からの政治」だと指摘する。
「憲法改正でも安全保障でも、安倍首相は自分が正しいと考える方針、政策をトップダウンで進めている。それもひとつのやり方です。しかし、かつての自民党は政策のウイングが広く、総理・総裁の方針に各派閥が堂々と意見を言い、議論を戦わせていた。ところが、今の派閥には政策論争を挑む力が失われ、議員の選挙の面倒も党頼みだから総理の方針を追認するしかない」
そんな現在の自民党内で田中派流の「互助会」手法を1人で支えているのが二階氏なのだ。それを物語るエピソードがある。