芸能

「2つの誕生日」を持つ著名人まとめ by NEWSポストセブン

「戸籍上の生年月日」と「実際に生まれた日」と2つの誕生日を持つ5名の著名人が、誕生日が2つある理由やエピソードを語った。(2017年7月1日更新)

◆出生届けを忘れられた

内海桂子(漫才師)


︎駆け落ちした両親が役所に届けることを忘れていた

 私は今でいう“駆け落ち”の親から生まれた子なんです。当時、両親はどちらも20歳。2人とも東京生まれの東京育ちなのに私を生んだのは遠く離れた千葉県の銚子だったので近所に親身になって相談に乗ってもらえるような人がいなかった。それだからか、大正11年(1922年)9月12日に私が生まれても役所に届けることを忘れていたみたいです。

︎本当の誕生日を知ったのは戸籍を取った時

 戸籍の生年月日と実際に生まれた日が違うことがわかったのは戦時中に海の向こう(満州)でお国のために戦う兵隊さんの慰問に行こうとした時に、身分証明書を作らなければいけないから、役所に行って戸籍を取った時のことです。母親から「誕生日は9月12日」と聞かされていたのに、戸籍には翌年の1月12日とあった。あれっと思って母親に聞いて、初めて事情を知りました。

︎ややこしいのは勲章や褒章をもらった時

 ややこしいのは、お国が絡む場合です。すべて戸籍に基づくから、勲章や褒章をもらった時は「1月12日生まれ」としての年齢で記録されるし、発表される。そうなると、1月12日に誕生祝いをしてくれる人も出てきたりするので、1年に2回もお祝いがある。細かい説明をすると面倒くさいから、何度でもありがたく祝ってもらってますよ。

関根潤三(野球解説者)


︎ズボラな父が役所に届けるのを忘れる

 まあ、簡単にいうと、親父が役所に届けるのを忘れてたの(笑い)。大正15年12月25日は大正天皇が崩御された日で、翌日から元号が「昭和」になったんだけど、役所は喪に服して業務をやっていなかった。おまけに親父がズボラだったから、そのまましばらく出生届を出し忘れていた。ようやく出したのが翌年3月15日。さらにマヌケなことに、届けを出したその日を誕生日にしちゃった。

︎父のおかげで戦争に行かずに済んだ

 だけど、おかげで僕は戦争に行かずに済んだ。大正15年生まれの男性には召集令状が来たけど、同じ学年でも僕は徴兵されなかった。出征した同級生は大勢戦死したり、なかなか復員できなかったりしたから、僕も戦地に行っていたら野球ができたかどうか。親父は「お前が戦争に行かずに済んだのはオレのおかげだ」と口癖みたいにいっていたね。たしかに親父のズボラのおかげで助かったわけです(苦笑)。

◆あえて誕生日を変えられた

肥後克広(お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部)


︎本当の誕生日をへその緒が入った桐の箱で知る

 誕生日のズレに気付いたのは小学校高学年の頃。タンスの中から自分のへその緒が出てきたんです。なぜかその桐の箱には「昭和37年7月15日生まれ」と書いてある。「アレ?」と思って母に聞いたら、本当の誕生日は箱に書いてある通りだというんです。その理由を母は、「この子はどうせバカに決まってるから、誕生日を遅くしてひとつ下の学年にすれば、学校の勉強が少しは楽になると思った」というんです。いやいや、3月に出しても学年は一緒だから! 思わずズッコケましたよ。

︎7月に「本当は3月だ」3月に「本当は7月だ」

 7月に誕生会をしてもらうと「本当は3月だ」といわれ、3月にも誕生会をやると「本当は7月だ」と。僕自身は「もういいよ」って感じで、土田(晃之)とか後輩芸人たちもしつこいから、「戦後のゴタゴタに巻き込まれたから」って片づけようとすると「終戦直後の生まれじゃないだろ」とまたツッコまれるし……。

 ちなみに3つ年上の姉の誕生日は5月25日。母は「ごご(5×5)にじゅうご(25)で覚えやすいから、5月25日にしといた。本当の誕生日はもう忘れた」だって。僕なんてまだマシですよ(苦笑)

Mr.マリック(サイキックエンターティナー)


︎1月1日はおめでたい日

 当時は自宅で産む家も多かったから、誕生日と届け出の日が違うケースは間々あったし、両親は「1月1日はおめでたい日だから」ということで、その日にしたかったんでしょう。僕も同じ立場だったら1日にしたと思いますよ(笑い)。

︎占いをきっかけに本当の誕生日を知る

 知ったのは、中学生の時です。正月に家族で「高島易断」みたいな占いの本を読んでいた時に、「僕はどうなの?」と母に聞いたら、「お前の本当の誕生日は12月29日だよ」といわれて。それから占いを見なくなった。良いほうを見ればいいんですけど、悪い占いも見ちゃいますから(苦笑)。

︎1月1日生まれの豊臣秀吉が人生に影響

 思えば豊臣秀吉が1月1日生まれだと知って、僕も子供の頃から一国一城の主になりたいと思っていた。秀吉が25歳でねねと結婚して所帯を持ったことを知って、僕も25歳で結婚して、慌てて自分の事務所を立ち上げたんです。だから、誕生日を1月1日にしてもらったおかげで、今の自分があるとも言えるわけです。そう考えると、誕生日って人生にいろいろと影響している。不思議ですね。

◆高校生の時に生年月日を変えた

板東英二(元プロ野球選手・タレント)


︎3月31日生まれは公式戦に出られない

 中3の時の活躍が関係者の目に留まって、野球の特待生として徳島商業に入学できた。誕生日が問題になったのは、2年生でキャプテンになる前だったと思います。野球部の部長が生年月日を聞いてきて、「昭和15年3月31日です」と答えると、「裁判所に行くから」と。このままだと2年生のうちに18歳になってしまう。そうなると高野連の決まりに引っ掛かって、3年生の時に公式戦に出られなくなるというわけです。当時は引揚者も多く、僕みたいな状況の人がたくさんいて、高野連でも問題になっていたようですね。

︎新しい誕生日は野球部の部長が決めた

 部長に同行してもらって自転車で徳島地方裁判所に行き、誕生日1週間ズラして「4月5日」で登録しました。日付は部長が決め、手数料の50円も部長が出してくれた。1週間くらいの変更やったから、簡単にいったんでしょう。

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