ちょうどその頃、吉田氏は「望郷の丘」に謝罪碑を建立。碑の除幕式では「あなたは日本の侵略戦争のために徴用され強制連行され……(以下略)」と書かれた碑文を読み上げ、式典参加者らの前で土下座した。
しかし、その後、吉田氏の一連の証言が虚偽であることが次々と指摘される。そしてついに2014年8月、吉田証言を何度も掲載していた朝日新聞も検証記事で〈裏付け得られず虚偽と判断〉と結論づけ、18本の関連記事を取り消した。
◆「任務完了!」
そして奥氏の手によって「望郷の丘」謝罪碑にも“訂正”が入った。奥氏に依頼したのは他でもない吉田氏の長男だった。長男は父親の虚言によって慰安婦問題が日韓関係のトゲのようになったことを憂い、親交のあった奥氏に碑の撤去を頼んだのだという。
昨年12月に現地に下見に行くと、大理石製の石碑は幅120cm、縦80cm、厚さ10cmで、推定で2トンもあった。撤去するには重機を使う大がかりな作業になってしまう。そこで考え出したのが、謝罪文が刻まれた石碑に吉田氏の名前や出身地の他、大きく“慰霊碑”と銘打った新たな石板を貼り付ける“上書き訂正作戦”だった。逮捕前、奥氏は本誌記者にこう語っていた。
「計8回の下見で、夜間の警備体制や侵入ルートなどを確認した。石板は、韓国の石材業者に製作を依頼。犯行当日は、タクシーに石板を積み、車内で墓地内の照明が消えるのを息を潜めて待っていました」
問題はタクシーを停めた場所から碑までは700mもあったことだった。石板は3分割で製作しており、1つの重さは35kg。ふらふらになりながら1つずつ運び3往復したという。