南仏生まれのセザンヌは銀行家の父を持ち、裕福な家庭で育った。画家になる夢を抱いて22歳の時、パリに出る。製本所で働くオルタンスと出会ったのはその8年後。原田氏がセザンヌとオルタンスの関係を説明する。
「2人の間には一人息子が生まれましたが、セザンヌは長期間、オルタンスと息子の存在を故郷の父に隠し続けました。身分違いの結婚を反対されるのを恐れるというより、仕送りが止められるのを恐れていたようです。正式に“セザンヌ夫人”となるまでに、出会いから17年が経過していました」
一見、不機嫌そうな、つまらなさそうな表情のセザンヌ夫人。だが、「この1枚を見つめれば、いかにセザンヌが妻に熱いまなざしと愛情を注いでいたかがわかる」と原田氏は語る。
18~19世紀の肖像画の依頼主の多くは、王侯貴族や富裕層だったが、豪華に着飾り、地位や富を誇示するような没個性の特権階級の肖像画と比べると、『セザンヌ夫人』の純朴な美しさがより際立つのだという。髪をおろしている姿、豪華ではないがよく似合っている衣服。アンニュイな雰囲気の表情。妻の飾らない個性を描いた感性と手腕を原田氏は絶賛する。
「マネやモネなど印象派の画家たちも肖像画を残していますが、風景や当時の風俗の一部として描かれたように感じます。画家が自分の思いや個性を、“自分以外の人物”の肖像画に重ね合わせることは、セザンヌの登場まではほとんどなかったのではないでしょうか」