観光でゆく京都と、住む京都。その落差を住民かつ非京都人として肌身に知る中村氏は、本書を祇園祭で賑わう7月から始めている。
〈五条大橋を模した小さな橋は、夏の日差しを浴びて、町家の一階で黒々と輝いていた。格子戸が外された二階から、片足立ちの美しい牛若丸と、大きな目を見開いた逞しい弁慶が町内を見下ろしている〉〈ハレの舞台に現れた橋弁慶山を見上げると、夏目若葉の心は重たくなった〉〈祭りのざわめきが遠く感じられ、違う世界の出来事のように思った〉
「この山吹屋にはモデルがあって、四条を少し下った南に私の友達のお祖父さんが始めた家族経営の宿があるんです。祇園祭の山鉾で“カマキリの山”ってわかります? あれを操るからくり人形師さんが宵山の日は泊まるらしいです。
祇園祭の頃は〈ヒオウギ〉という扇を開いた形の花を活け、家の中のしつらえや着物の柄、日々の献立にも四季が細やかに巡る。それを私は書きたかったのかもしれない。例えば祇園祭そのものより、祇園祭の時の生活に興味があるというか。特に京都は季節ごとの行事には事欠かない町で、本当にこんな生活をしている人達がいるんだなって感じ入ります」
が、そうした一々が若葉には気重でしかなく、〈京都は外から見たら、きらきらしてて、綺麗な絵巻物みたいや。せやけど、内に入り込むと、窮屈で重苦しい〉と呉服屋を営む隣家の主人〈喜八郎〉についこぼした。彼は親のない若葉にとっていわば親代わり。優しい祖父と気丈な祖母、舞妓になった親友〈紗良〉に囲まれてなお、若葉はこの町や自分を好きになれずにいた。