国民が陛下の健康と長寿を願うなか、「象徴」である天皇は常に特別の医療体制が組まれてきた。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が“玉体”の医療の歴史に迫る。
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明治時代は天皇といえどもその医療体制は脆弱でした。明治天皇には5人の男子が生まれましたが、4人は亡くなり、生き残ったのは後の大正天皇だけでした。
明治初期には現在のように専属で天皇、皇族に付く侍医はおらず、そのつど外部から医師が宮城に駆けつけて診察をしていたといいます。医師には漢方医と和方医が混在しており、どちらかというと漢方医に主導権があったようです。
1889年(明治22年)に大日本帝国憲法の発布とともに、旧皇室典範が制定されると、宮中の医療体制が一変します。常駐する侍医が設けられて東京帝国大学(現・東京大学)医学部出身の医師が務めるようになります。西洋医学の導入です。この前年までに漢方医は全員解任されています。宮城内に侍医寮も作られました。