空襲で破壊された建物、前線に掘られた塹壕──それら戦場の風景は、私がイラク北部でイスラム国と戦うクルド人部隊の従軍取材をした際に目にした、戦闘の最前線の光景を彷彿させる。写真の場所では当時、激戦が繰り広げられていたであろうことは一目瞭然だ。
アルバムには、上海に出征した年月日は記載されていなかったが、帰国したのが「1938年3月5日」とある。写真の兵士の多くが冬用の外套を着用しており、野戦病院に飾られた門松の写真などを考慮すると、撮影者が滞在していたのは第二次上海事変(※注1)が起きた1937年の晩秋以降ではないかと思われる。
【※注1/1937年7月の盧溝橋事件(北京郊外)に続き、同年8月に勃発。「上海戦」とも呼ばれる。日中全面戦争の始まりとなった】
アルバムに収められたのは上海とその近郊で撮影されたと思われる写真が484枚。撮影者が帰国後、東北地方などで撮影した写真が170枚。合計654枚と膨大な数だ。80年近い時間の経過を感じさせないほど保存状態が良く、カメラマンの私が見ても光の捉え方、構図など写真のクオリティが非常に高い。しかし、残念ながら、アルバムには肝心の撮影者の名前が記載されていない。
◆「許されない」写真の数々
一体、誰がこの写真を撮ったのだろうか。従軍カメラマンか? もしくは記録担当の兵士か?
写真には、軍用飛行場の爆撃機や野戦病院で手当てを受ける負傷兵など、軍の機密に触れるものが多数あり、これらは従軍記者が撮影を許されるものではない。よくある戦意高揚のためのプロパガンダ写真とも違う、兵士の日常生活を撮った写真を見て、私はこの撮影者は被写体と同じ軍人だと確信した。病院や負傷兵の写真が多いことから、軍医など医療関係に従事していた可能性が高い。