「高句麗は何年に滅んだのですか」
「高句麗人と百済人は、どのような違いがあるのですか」
両陛下は、同神社を案内した宮司にそう質問を投げかけられた。訪問にあたっては事前に資料をご覧になったほか、御所で専門家からの説明も受けられたという。だが、その熱心な姿勢の陰には、単なる「ゆかり」以上の理由があった。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が明かす。
「1980年頃、まだ昭和天皇がご存命だったときに、私は高麗神社の関係者から“陛下に足をお運びいただくことはできないものでしょうか?”と相談を受けたことがあったんです。当時、テレビ局で宮内庁担当記者をしていた私は、その希望を宮内庁側に伝えました。ですが、返ってきた答えは“NO”。さまざまな事情を考慮しての結果だったようですが、結局、昭和天皇が同神社を参拝されることはありませんでした」
それからおよそ40年。今回の訪問は陛下、そして美智子さまにとって、昭和天皇が遺した悲願を叶える旅だったのかもしれない。
◆訪問先は一般人立ち入り禁止
元共同通信記者で、陛下のご学友としてさまざまなメディアに登場した故・橋本明氏は生前、本誌・女性セブンの取材に次のように話していた。
「皇太子時代の1986年、両陛下の韓国訪問が予定されていました。ところが、美智子さまが子宮筋腫の手術のため入院を余儀なくされ、取りやめに。それからというもの、両陛下は韓国訪問への思いを日増しに強くお持ちでした」
だが、韓国内での反日感情の高まりや、燻り続ける「慰安婦問題」などのトンネルの出口は見えず、日本と韓国の間には緊張状態が続いている。それだけに、今回の私的旅行でも異例の光景が広がっていた。
「お出かけの際、両陛下は一般のかたとの触れあいを大事にされています。もちろん周囲に警護の人間はいますが、偶然居合わせた人に声をかけたり、写真撮影に応じられたりととても和やかな雰囲気に包まれています。ですが今回、例えば巾着田曼珠沙華公園は朝8時から一般人立ち入り禁止。両陛下が到着されたのは午後3時でしたから、徹底した『人払い』が行われたわけです。両陛下のお出ましを知らなかったため、公園に入れずやむなく帰っていく観光客も多くいました」(前出・皇室記者)