今でこそ「自分が好きなものだけを大事に着るようになった」彼女だが、六本木時代はそうではなかった。朝起きると近所のマックへ行き、金髪にブランド物のピンクのジャージ姿で朝マックを注文。そのまま白のベンツで会社に乗りつけ、ほぼ毎晩を会食にあてたが、せっかくのご馳走を人知れず吐き出すことも。
「今思うと勿体ない話。でも、この人と食事する以上絶対仕事に繋げなくちゃとか、緊張で消化が追いつかないんです。当時は自分の嗅覚を形にすることに夢中で、見城社長を始め、凄い大人たちに囲まれてきた。その分、自分の信じる世界が崩壊した衝撃も大きくて。そういう思いこみの激しい自分自身に、それこそ私は失恋したんだと思います」
俗に癌は発病から5年が完治の目安とされる。その間千葉の実家に戻り、肉食や社交や消費をやめ、自分との対話に没頭した。
「これが悪かったんじゃないかとか、犯人探しをクタクタになるまでやり切って、ようやくです、自分に起きたことは社会のあちこちで起きている問題と地続きだと思えたのは。物事の進み方一つとっても、そんなに急ぐ必要があるのかとか、肉に限らず、私たちは物を食べ過ぎなんじゃないかとか、〈便利で速くて美味しいもの〉を、しかもたくさん求めさせるシステムも含めて、私には似合わない服に思えてきた。
そのエラーとして出現する病のしくみは自然災害や民族紛争まで、あらゆる事象に発見できたし、そうかこの人、やっと過去と訣別できたんだって、癌を背負った自分を客観視できるようにまでなって。
そうなると体まで丈夫になった。43歳で早めの定年を迎えた私は、余生に関し、前の人生と連続しない方が面白いとすら思っています。普通は定年後も会社を引きずる人が大多数ですけど、やっぱり自分が変わらなくちゃって、私の体に巣食った癌の〈つぶつぶ〉がそう思わせてくれたんです」