「たとえば、中畑清は1979年にV9戦士の高田繁を押しのけてレギュラーを確保し、1980年代のスターになった。1981年に入団した原辰徳は開幕当初セカンドを守り、篠塚利夫が控えに回った。しかし、5月4日に中畑のケガで原がサードに回ると、篠塚に出番が回ってきた。ここで篠塚は打ちまくり、中畑がファーストに回らざるを得ない状況を作った。結果的に、ファーストの松原誠が押し出されてオフに引退。
日本一になったこの年からサード・原、ファースト・中畑、セカンド・篠塚という布陣の1980年代が始まった。同じく日本一になった1989年、サードにコンバートされた中畑が開幕5試合目でケガをすると、岡崎郁や井上真二、緒方耕一などの若手が台頭。中畑は復帰してもポジションがなく、同年限りで現役を退きました。1980年代の巨人は少なくとも、若手の育て方が下手ではなかった」
鹿取GMは1978年ドラフト外で入団し、1980年代の巨人を支えたリリーフ投手だった。当時を知る鹿取GMは村田斬りを“劇薬”に、古き良き巨人を取り戻そうとしているのかもしれない。
「だからといって、村田の自由契約がチームにとってプラスに働くかといえば、疑問も残ります。なぜなら、ポジションは与えられるものではなく、奪うものだからです。坂本は二岡がケガで戦列を離れている間に活躍し、二岡が復帰してもポジションを渡さなかった。長野は高橋由伸、亀井義行、谷佳知など強打の外野陣に割って入ってレギュラーを掴んだ。
一方で、今年は開幕から約2ヶ月、高橋由伸監督は二塁のポジションを中井大介に与えたが、チャンスを掴めなかった。小林誠司が一皮剥けきれないのも、阿部慎之助の後釜としてある意味“与えられた定位置”だったから、という要素も大きいと思います。そう考えると、若手にベテランを追い抜かせるのではなく、移籍させてポジションを空けるという方針が正しいのかどうか……」
来季2年目の吉川尚輝、4年目を迎える岡本和真などの若手が奮起し、巨人に新しい風を吹かすことができるかどうか。来季以降の巨人の躍進はそこにかかっていると言っても過言ではないだろう。