名跡ではなく、家を継いだ志らく。この家の近所の住民たちはテレビとはひと味違う志らくの表情を目撃している。
「テレビではいつも着物姿の志らくさんですが、普段はチノパンにTシャツというラフなスタイルで今年3月に生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこしながら、上のお嬢さんのお迎えに行くなど、イクメンパパですよ。元アイドルの年下の奥さんとはラブラブなようで、腕を組んで歩いている姿もよく見かけます」(近所の住民)
猛毒コメントで知られる志らくも家族の前では骨抜きにされているようだ。そんな志らくだが、近年、公の場で「立川流解散」を口にしている。「立川流」とは、1983年に落語協会から飛び出した談志が旗揚げした団体だ。
昨年11月に開催された「談志まつり」でも、志らくは自ら挙手し「解散」を提案した。 またテレビでも兄弟子である志の輔や談春とは「口もきかない仲」などと公言し、ほとんど交流がないと明かしてる。
談志を愛し、家まで継いだ志らくが、なぜ解散を唱えるのか。前出・広瀬さんは真意をこう推測する。
「立川流は談志がすべてを決める『談志ありき』の集団でした。裏を返せば談志がいなければ成立しないともいえる。談志は『おれが死んだ後は勝手にしろ』とだけ書き残し一門の行く末は何も決めなかった。だから志らくは『ならば、それぞれが独立した道を歩もうよ』と談志の遺志を代弁しているのではないか」
高座では「落語では売れたけれど、テレビでは売れ損ねた」という自虐ギャグが定番だった志らく。11月に談志の七回忌を迎えるが、今年は墓前に「テレビでも売れました」と報告するのだろうか。
※女性セブン2017年10月26日号