「食うためですね。大阪で劇団に入っていたのですが、売れなくて。十九歳ぐらいの頃、ある歌謡ショーで前歌の誰かが急に病気かなにかで出られなくなったようで、僕が行くと事務所の上の人が『歌を歌えない? 明日』って言うんです。『いえ、歌えません』って答えたら『二曲でいいから』って。その日のうちにレコード買いに行って、徹夜で覚えました。
とりあえず出番が終わって楽屋に戻ったら、知らないおじさんが来て『酷かったね』って。ただ、その人が『君、歌は酷いけど舞台映えするから、もしよかったらウチでアルバイトで歌ってみない』と言うんです。
最初はその二曲から始まって、レッスンに毎日通って曲を増やして。出演料は高くはなかったですが、家賃は払えました」
「うそ」の大ヒット以降はテレビドラマに次々と出演、舞台では座長公演も務めるようになる。
「最初は歌手でも全然売れなかったのですが、『全日本歌謡選手権』に出て、『うそ』が売れて。でも、いろんな人を見ていると歌はそんなに人気が長続きするとは思えませんでした。せいぜい二、三年だろう、と。できれば役者をやりたいという思いが根っこにありました。
それでテレビドラマに出て舞台もやるようになるのですが、今度は歌い手であることが邪魔になるんです。『歌手芝居』とよくいうのですが、歌手の舞台は歌謡ショーとの二本立てですよね。そうなると、どうしてもショーに重きが置かれる。下手な芝居だけど、お客さんは次のショーを観たいから我慢する。
僕はそれが凄く嫌で、芝居に重きを置きたかった。でも劇場は『芝居は短くして』という。それでも、僕はどうしてもいい芝居をしたかった。お客さんが泣いたり笑ったりしてくれるような。ですから、他の歌い手さんと違う芝居を一生懸命にしてきた自負はあります」
●かすが・たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』『鬼才 五社英雄の生涯』(ともに文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。
■撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2017年11月17日号