【5】『渡邉恒雄回顧録』(御厨貴監修)は、ヒョウタンからコマのごときめぐりあわせで生まれた作品。これは読売新聞「生涯主筆」の夏期集中オーラル・ヒストリーの成果である。さすが記者と感心したのは、ゲラの修正の際、削除した箇所にピタリ同じ字数で補充してあったことだ。これも2007年に文庫化して爾来10年、何と今年増刷となった。
無論本書は、オーラル・ヒストリーを終えて20年今なお現役たる渡邉の生涯のすべてを語った作品ではない。彼自身、あの後も時折、回顧本を出している。しかし夏の暑い日、2週間で一挙に仕上げたオーラル・ヒストリーの迫力に勝るものは出ていない。
成熟化の契機をもち、クラッシックスとしての輝きを放つ第2のタイプは、歳月を待つことなく作品としての価値が当初からあるものだ。【6】堤清二=辻井喬の『わが記憶、わが記録』(御厨貴他編)と【7】山崎正和の『舞台をまわす、舞台がまわる』(御厨貴他編)がそれだ。
いずれも政治への関わりを持った経営者にして文化人、そして劇作家にして文化人である。昭和から平成にかけて息長く各方面で活躍しただけに、まるごと同時代史の雰囲気を味わうことが出来る。ともにオーラル・ヒストリーを試みてから公刊までに10年以上かかっているが、そのことの意味は確かにある。世に出すまでの彼らの逡巡が手にとるように分かる。
同時に2作品とも刊行後まもなく、新聞・雑誌に多くの書評が出された。注目度がきわめて高い人物であったことの証明だ。「オーラル・ヒストリーでなければ出来なかった独特の作品」との評価がなされたことで、「オーラル・ヒストリー」は何かのための手段ではなく、それ自体が古典的作品として確立された。その意味で記念すべき2作品である。