悲しい駒ケ嶽とは違い、ニヤリとさせてくれるのは江戸時代のスーパースター雷電。雷電が現役時代より記した日記『諸国相撲控帳』に、こんな話が書いてある。
享和二年(一八〇二年)、長崎で清の学者の陳景山と出会う。飲酒に関しては李白の生まれ変わりであると自称する陳先生と飲み比べをした。互いに酒を注ぎ合い気付いたときには一斗ずつ飲み干していた。先生はここでダウンしたのだが、雷電はさらにもう一斗飲み鼻歌を歌いながら高下駄で宿に帰った。
三十六リットルの日本酒を飲んで酩酊しないとは、いくら百九十七センチ百七十キロでもおどろきだ(巨人でないのに十八リットル飲んだ陳先生も李白を名乗るだけのことはある)。翌朝目覚めて雷電の様子を聞いた陳先生は書と絵を贈ったという(黒星のほとんどは引き技だった雷電。二日酔いの疑惑を私は持っている。どれだけ飲んでそうなったのか知りたい)。
寛政二年(一七九〇年)の初土俵から二十一年の現役生活で、黒星はたったの十個。三十四場所に出場したうち優勝は二十八回。通算成績は二百五十四勝十敗十四あずかり二引き分け五無勝負で、勝率は九割六分二厘。年に行われる場所数も日数も今とは異なっているから単純に比べられはしないのだが、白鵬ですら現在まで勝率八割に満たないのだから今後塗り変えられる数字ではないだろう。
雷電の死から三十七年後に出身地信濃国(長野県)に建てられた「力士雷電之碑」には、佐久間象山による文が彫られている(死後二十七年と書かれているのは、弟子吉田松陰の密出国未遂に協力したとして謹慎させられる前にしたためた文だと偽るためだったという説がある)。間違っているかもしれないが、私なりに読んでみた。