増岡の祖父、登作が戦後まもなく建設した鉄鋼ビルは文字どおり、日本を代表する製鉄企業がテナントとなり、本社を置いてきた。合併前の八幡製鉄や富士製鉄、神戸製鋼の東京本社などが看板を掲げ、政財界の活動拠点となってきたビルである。
「安倍総理夫妻の結婚式では、私は昭恵さんの友人としてプリンスホテルで開かれた二次会に参加しました。出しものとしてみなで御神輿を担いだりね」
増岡がこう続ける。
「それからずっとあとの1997年のことですが、私の結婚披露宴にもご夫妻でお招きしました。残念ながら、総理ご夫妻はお子さんに恵まれなかった。子どもや家族に接するような感覚で友人を大事にされます。われわれとたわいのない話をして過ごす。そういう意味では(われわれとの付き合いが)ホッとされるのではないでしょうか。とりわけ第一次政権の1年で体調を壊されたあのときは、見事なまでに肩書きのある人たちが総理から去っていった。でもわれわれは何も変わらない。だから誰が本当の友だちかよく解った、と話されていました」
※週刊ポスト2018年1月26日号