「俺が再婚した時に新しい家族に悪いから、今からそう呼ぶ練習しておけって(苦笑)。喧嘩の原因は父の浮気とか、いろいろでしたが、元々お嬢様育ちの母は父が堅気じゃないことがとにかく不満。〈今までの××年返せ!〉が口癖でした。
そういうことも全部小説に書いちゃうのが、〈屍肉にたかるハイエナ〉と伯父に呼ばれたうちのオジサン。たぶん父の数少ない読者は我が家の家系や内情に相当お詳しいはずです(笑い)」
尤も寛夫は同じ幼稚園の一期下だった豊を当時から好きだったらしく、晩年は〈オバサンは世界一可愛いおばあさん〉とノロけるほど。阪田家と母方の吉田家はこの南大阪幼稚園を創立した同志。両家の長男長女がまずは恋愛結婚し、〈面倒な親戚〉を増やしたくなくて末子同士の寛夫と豊をくっつけた、とは母の弁だ。
元々阪田家は広島で海運業を営んでいたが、曽祖父恒四郎が大阪で現在のサカタインクスを創業。祖父・素夫は隣人愛を社是とするほど熱心なクリスチャンで、同志社出身のオルガニスト大中京と結婚。音楽とキリスト教と祖母の焼くアップルパイが香る〈万事西洋式〉な環境で、寛夫は育つ。
その後は帝塚山学院小学部、旧制住吉中学、高知高校へと進み、昭和19年応召。復員後は東京帝大国史学科に学び、第十五次『新思潮』の同人・三浦朱門は高校の寮で同室、後に朝日放送で上司となる庄野潤三は小中学校の先輩でもあった。
一方吉田家も戦前は絹織業で財を成し、祖父は自ら日曜学校を開くほど熱心な信者だったが、3男2女を戦死や結核で失い、両家の明暗は分かれた。軍に徴収された工場も結局戻らず、戦後は新興宗教に走った舅のことを、寛夫は何度となく作品に書いている。
「自罰傾向が強く、〈おれはダメだ〉が口癖だった父は、ずっと自分が生き残ったことに罪悪感があったのだと思う。特に母が倒れてからは介護を頑張り過ぎて鬱病になり、母より先に亡くなるのですが、その父が母に言うんです。〈オバサンがいなくなったら、戦争で死んだ兄さんたちのことを思い出してくれるもんがなくなる〉と。自称不良信者の父が晩年母と教会に通い始めたのは浮気の罪滅ぼしもあったと思う。ただ父は吉田家のことも、母を通じて背負っていた気がして」