【受賞者の言葉】
きっかけは、一冊の画集だった。生月の信仰対象である「お掛け絵」の写真を集めた『かくれキリシタンの聖画』(1999年小学館刊、現在は絶版)を手にした時の驚きだ。西欧の聖画の中のキリストといえば彫りの深い男が悲壮感を漂わせる印象だが、生月の聖画は違う。平面的で、職業画家が描いたとは思えない画力なのだが、不思議と惹かれる。特に「洗礼者ヨハネ」の一枚には心を奪われた。
ヨハネは若きキリストに洗礼を授けた聖人のはずだが、生月のヨハネの頭髪はちょんまげで、着流しの和装という出で立ち。このヨハネをどう拝むのか、どうしても見てみたくなった。
信仰とは何なのか。生月の歴史を知れば知るほど、考えさせられた。かつて毎月行われていた行事が年数回に減ったが、祈りは今も捧げられている。「でうすぱいてろひーりょう……」。宣教師から伝えられた当時のまま、ポルトガル語と日本語混じりの口伝の祈りだ。
信徒の多くは「意味はわからない」と言った。キリストの死で罪が贖われる、という形而上学的な教義の無理解を理由に、“宗教のB級品”であるかの如き評価を下す研究者の系譜もある。
だが意味を失った“音の連なり”だったとしても、愚直に“宣教師から届けられた祈り”を伝承する努力が尽くされてきた。作法を守ればその刹那、“聖なるものと交わる時空”が出現する、と確信しているかのように。今回の受賞は、世紀を跨いで信心の形を繋いできた人々に敬意を表するため、頂いたものだと思っている。
【プロフィール】広野真嗣(ひろの・しんじ)/1975年、東京都生まれ、慶應義塾大学法学部卒。神戸新聞記者を経て猪瀬直樹事務所に取材スタッフとして入所。石原、猪瀬都政では東京都専門委員を務めた。2015年からフリーに。
※週刊ポスト2018年2月2日号