「それが優生保護法の第4条と第12条です。公益上不妊手術が必要だと医師が判断した場合、都道府県の優生保護審査会に申請し、承諾を得れば、本人の同意なく手術を施すことが認められたのです」(利光さん)
当時、厚生省公衆衛生局から各都道府県知事宛に出された通達には、衝撃の文言が記載されている。
《強制の方法は、手術に当たって必要な最小限度のものでなければならないので、なるべく有形力の行使は慎まなければならないが、それぞれの具体的な場合に応じては、真にやむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔(※編集部注・人をあざむき、騙すこと)等の手段を用いることも許される場合がある》
1996年に優生保護法が廃止されるまでの間、強制的に不妊手術を受けさせられた患者は、判明しているだけで1万6000人超。最年少患者は9才だった。利光さんの調査によれば、障害者施設等で、「月経の介助が面倒」といった職員側の理由で不妊手術を強制された患者も多数いたという。
◆障害者に優しい社会になってほしい
国による非道行為の被害者となったAさんは、苦難の人生を歩むことになる。前出の藤間弁護士が語る。
「20代前半で縁談が持ち上がりましたが、子供が産めないため破談になりました。手術の後遺症で、腹痛に悩まされることも多かった。卵巣組織が癒着する卵巣嚢腫に罹り、30代で右卵巣の摘出を余儀なくされています。強制不妊が、文字通り彼女の人生を狂わせたのです」
両親も他界し、ひとり絶望を抱えて生きるAさんだったが、そんな彼女に寄り添ったのが、義姉のBさんだった。
1975年にAさんの兄と結婚したBさんは、日々腹痛に悩まされ、果ては手術で卵巣を取らざるをえなかった義妹の姿を見て、胸を痛め続けてきた。
2015年、仙台市の70代女性が、過去に受けた強制不妊手術について、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てたことを報道で知り、Bさんは立ち上がる決意をする。
「支援団体を通じて県に情報公開請求をし、強制不妊手術を受けたという証拠をもとに、われわれに依頼をしてくださいました」(藤間弁護士)
姉妹が訴訟に踏み切るきっかけとなったのは、昨今のゆがんだ世相にもあった。2016年7月、神奈川県相模原市の知的障害者施設で、19人の入所者が刺殺される凄惨な事件が起きた。
逮捕された植松聖被告は、警察の取り調べに対し、「意思疎通できない障害者は生きていても仕方がない」「障害者は不幸しか生まない存在」などと供述。過去には衆議院議長宛に「障害者は安楽死させるべき」とする手紙を送っていたことも判明している。
驚くべきはネット上の反応で、植松被告に賛同する人間が一定数おり、彼を英雄視する書き込みさえあった。