「美人のお姉さんをキャッチして店に連れていく。キャッチの間で“あの子と飲みたい、ヤリたい”と盛り上がって、店の知り合いに“あの客を酔い潰せ”と命令するんです。潰れて帰れなくなった女性を迎えに行き、支払いを立て替え、カラオケなどに連れ込む。酔いから醒めた相手からは“ごめんなさい”って感謝されますけど、こっちとしてはしてやったり。つけ込む弱みを握れるから。違法だってわかっていてキャッチをやっている連中ですから、タガが外れたら何をするかわからない。それこそ、硫酸だろうが暴力だろうがなんでもやる」(遠藤さん)
こういう被害例を報告すると、そもそもキャッチの誘いに応じなければよい。のこのこついて行くほうが悪いという意見が必ず出る。だが、彼らは実に巧妙だ。狙った客に、少しでもその気があるそぶりが見えれば優しく接し、“押しの弱さ”を感じたら、高圧的な態度で時には仲間のキャッチらと結託し、客を取り囲んで逃さない。“キャッチのいる店は嫌だ”と避けられても、でたらめに安い料金を呈示した上で誘い、会計時にぼったくったり、泣き落としでもなんでもやる。
それでも断れるはずだと言いたくなるときは、自分の捉え方が歪んでいることに気づいてほしい。騙される側の落ち度を探す必要はない。騙す側が悪いに決まっている。
彼らの悪どさは、キャッチ行為が“違法”になった後も、それを承知していながらキャッチ行為から足を洗えない、という部分に凝縮され、それが全てを物語っている。そういった認識の甘さは、同業者間でのトラブルを暴力で解決しようとしたり、硫酸のような劇物を用いてまでも、他者と比べ優位に立つことが「正当だ」と思わせる原因となる。ただのキャッチ、とは言えない悪事にも抵抗がなくなっていくのだ。
軽々しく始めたキャッチのバイトをきっかけにして、反社会勢力へ流入し、違法薬物の売買に手を染める、オレオレ詐欺グループへの加入、など本格的な組織犯罪のメンバーになってゆく例が後を絶たない。キャッチという小さく見える犯罪が、その先に待つ大きな悪への入口になっており、そこに取り込まれようとしていることに、いまキャッチ行為に励む彼らは気がつくはずもない。そして、居酒屋への勧誘を受けただけの客にとっても、そのキャッチの誘いにのることが組織犯罪被害の入口に立たされていることに気づくのは難しい。
飲食店のキャッチ、風俗店のキャッチ、形態は様々だが、そもそも、彼らが違法な存在である、という認識を強く持たなければならない。法律違反の仕事を平気で続けられる人間は、他の分野の“やってはならないこと”も簡単に飛び越える。「たかだかキャッチでしょ」という甘い感覚でいると、彼らが狙い定める隙になるのだ。