──秋季大会は全国制覇の経験のある佐賀商や佐賀北に勝って勢いに乗った?
吉原監督:夏の最高成績は県ベスト4で、いまだに一度も優勝がありません。この子達にとっては、この2校に勝ったのは初めてのことで、もの凄く自信になったと思います。ある種、見切っていた部分もあったし、いい意味で開き直った結果、選手たちのリズムとスタイルが合致しましたね。もう一度勝とうとしたら、また違うことをしなくてはいけないと思います。
──佐賀県の教員の異動はどのぐらいの頻度で?
吉原監督:4年以上7年未満だと思います。3校目となる異動はどこでもいいなという気持ちでした。
──これまでの唐津西や唐津商業時代を振り返ると?
吉原監督:当然ながら、学校によって指導方法は変わります。例えば、創部10年くらいで甲子園に出場したことのある唐津西は守備や機動力のチームで、私にとっては非常に勉強になりました。一方、唐津商業はバッティングの良いチームで、ピッチャーがいいときに勝つイメージです。同じ野球をしようと考えても、来ている生徒の気質が違うし、その学校の勝つスタイルも違うので、そこにうまく適応していかなければいけません。
──2005年夏に唐津商業で甲子園に行ったのは、監督人生にとって大きかったですか?
吉原監督:大きかったですね。準々決勝で佐賀西と引き分け再試合という熱戦がありました。いま振り返ると、あの試合はやばかったです。こちらには北方悠誠(横浜ベイスターズからドラフト1位指名)というエースがいましたが、9回2死まで負けていて、タイムリーが出てやっと土壇場で追いつきました。逆に言えば、ああいうことを一度経験して、「終わったな」というところから勝てたので、選手の力みもなくなり、もう怖いものはなくなった。勝ちたい、勝ちたいだけではなくて、1回負けた身だからこそ、見えたものがあると感じました。でも、もう(甲子園に)行くことはないだろうなと思っていました。
──その成果を経て、2014年に伊万里に赴任した時、何かギャップは感じましたか?
吉原監督:何をどうすれば良いのかが分からなかったです。最初はグラウンドに除草剤をまき、草刈りから始めました。唐津商の時は夕方4時から全体練習を7時半までやって、そこから残った生徒が自主練する形でした。3時間半くらいやるのが普通でしたが、伊万里に来たら、練習は1時間半しか時間がとれない。時間がない中での練習という感覚をしたことがないので…。
──平日の完全下校が午後7時15分というのは学校の伝統ですか?
吉原監督:交通機関のアクセスが悪いので、学校自体の開始時間が遅いため、7限目に授業をしたら終了時間も後ろにずれていきます。練習時間は月火木が90分、金曜日は2時間15分ほどになります。土日の練習の規定はないですが、普段は半日しかしていないです。