森友疑惑が紛糾する中での栄転は、批判を浴びるのは明らかだった。組織を守るという官僚社会の掟からいえば、佐川氏は長官就任を断わるべきだったかもしれない。
だが、あきらめたはずの出世の道が思いがけず拓けたとき、それが茨の道だとわかっていても、誰しも誘惑に駆られる。佐川氏にとって国税庁長官は念願のポストでもあった。
「財務官僚は課長時代に出世のふるいにかけられ、同期入省組の中からトップの事務次官コースに乗る官僚が1人に絞られる。佐川氏の同期(1982年入省組)27人の中で一番出世は福田淳一・現次官、佐川氏は2番手グループにつけていた。同省の出世双六では、次官に次ぐナンバーツーが国税庁長官につく」(OB)
しかし、佐川氏は局長選抜の段階で傍流の関税局長に回され、2番手グループの中でも出世競争に出遅れた。同期のライバルで安倍首相と同じ山口県出身の迫田英典氏が一足先に理財局長、国税庁長官と出世していた。
この迫田氏こそ、森友学園への国有地払い下げ当時の理財局長という疑惑のキーマンだ。佐川氏が迫田氏から1年遅れて後任の理財局長に就任したとき、「自分にもまだ国税庁長官のチャンスはある」と心中期するものがあったのではないか。
そこに回ってきたのが、森友問題の答弁役という“汚れ仕事”だった。中堅官僚はこう振り返る。