かつて、高齢者と言えば「金持ち」イメージが強かったが、今日びそんな高齢者はごく一部で、カネのない老人が大多数。入所費用や利用料が安く設定されている介護事業所には多くの申し込みがあるが、ぎりぎりの状態で運営されているために介護士の待遇は悪く、まさに「安かろう悪かろう」といった環境に陥っている。そうした事業所だからこそ、当然介護士の質は悪く、あくまでも食うための手段として、他にないから仕方なく働いている、といった人々が入ってきては辞め、といった悪循環が続いている。
「一人で10数人の利用者さんを看ることもあります。そうなれば、一人一人に向き合っている余裕などなく、ほとんど流れ作業。食事やお風呂はそれぞれ10分程度で済ませ、おむつだって一日二回しか替えてあげられない、ということがよくあります。最近では職にあぶれた中年男性やチンピラみたいな人でも、職員として採用されますが、みな当たり前のように仕事をしないし、利用者への態度もひどい。介護報酬が僅かに引き上げられても、施設の改修費用の足しにもならず、私たちのところまでは回ってきません。人材確保や待遇改善、事業者の持続可能性の向上などと政府は言っていますが、私たちにとってみればうわ言のようなもの。保育士さんも同じような状態だから、人不足で当然。人が足りないなら、まず出すものを出さないと。お金を払わずにやりがいだのなんだの言っても無意味です」
保育や介護の仕事を「やりがい」や「夢」で語られていた時代は、もう遠い昔。いずれも国にとって必要不可欠の、人間が社会的、文化的な生活を送るためにはなくてはならない仕事であるはずなのに、なぜか一番疎かにされている現状。ここまで問題視され、社会的に議論されているにもかかわらず、事態が一向に良くならないのはなぜなのか。松村さんは訴える。
「グローバルだなんだと政治家は言いますが、まずは国民が普通に生活していけるようにしてほしい。私たちは奴隷ではありません、国民が弱くなれば国だって弱くなる、こんな当たり前のこともわからないなんて。外国人を介護の現場に呼びよせるといった政策もありますが、次の奴隷を連れてこようとしているとしか思えません」
労働人口の減少と日本経済の縮小を受け入れなければならない我が国において、政府首脳や財界は声高に「いかに効率よく儲けられるか」ばかりを議論する。日本人以外の「安く使える外国人」を受け入れる体制づくりにしてもそうだ。そこには「人を育てよう」「人を大切にしよう」という当たり前の概念がすっぽり抜け落ちているように思える。本来なら思い入れをしやすい日本人の保育士、介護士に対してさえ、その窮状に理解をみせないのに、外国人ならば解決になるのか。ガス抜きのための「新たな奴隷探しのようだ」という指摘が、現実にならないことを願う。