「ハガキリクエストはアイドル系が圧倒していましたし、有線放送は演歌系が強かった。『ザ・ベストテン』が世代を超えて愛された理由の1つに、老若男女を考えた順位決定方式もあるでしょう。逆に言えば、4部門で同時に1位を獲得するためには、全世代に好まれる曲、歌手でなければ達成できなかった。それを唯一、達成したのが西城秀樹さんの『YOUNG MAN(Y.M.C.A)』だったわけです」
同番組の連続1位記録を持つ寺尾聰『ルビーの指輪』(12週)の最高得点は9846点(1981年4月23日、5月14日、21日の3度記録)。5月14日の部門別順位を見るとレコード、有線放送、ラジオの3部門で1位を獲得したが、ハガキは3位だった。
1982年、5週連続1位を獲得した岩崎宏美の『聖母たちのララバイ』は4週目の7月15日、有線放送とラジオが1位、レコード2位だったが、ハガキは10位と伸びていない。1984年、7週連続1位を獲得したチェッカーズの『涙のリクエスト』は4週目の4月19日、レコードとラジオで1位だったが、有線放送2位、ハガキ5位に留まっている。
「レコードが売れてラジオや有線放送の順位が上がるパターンもあれば、ラジオや有線放送から火がついてレコードが売れるパターンもある。ハガキリクエストを含めた4つの順位にはタイムラグがある。その中で、全ての部門が同時に1位になることは本当に凄いことだった」(同前)
絶妙な総合チャートを作り、視聴者をテレビに釘付けさせた『ザ・ベストテン』。他の誰も通り抜けられなかった難関を乗り越えた西城秀樹さんは、まさに国民的スターだったのだ。