岩崎宏美一覧

【岩崎宏美】に関するニュースを集めたページです。

デビュー50周年の西城秀樹さん 今も歌い継ぐ歌手たちと“団結”を続けるファンの姿
デビュー50周年の西城秀樹さん 今も歌い継ぐ歌手たちと“団結”を続けるファンの姿
 今年は西城秀樹さん(享年63)デビュー50周年のメモリアルイヤー。同じ時間を過ごした歌手たちは、今も西城さんの曲を歌い、語り継いでいる。そんな歌手たちについてコラムニストで放送作家の山田美保子さんが綴る。 * * * 7日、中野サンプラザで行われた「神野美伽コンサート 2022『さぁ、歌いましょう!』」を観る機会に恵まれた。 約2年半ぶりの東京公演。神野はMC中、何度も「この2年半」という言葉を口にし、コロナによって寸断された人間関係や「まさかの」戦争などについて言及し、平和を強く訴えた。 2年半の間には、自宅にピアニストの小原孝氏を招き、神野が愛用するピアノを使って、「お家de音楽会~神野美伽&小原孝~」なるYouTubeを開設し、頻繁にアップしている こうした“いいこと”もあれど、2年前には同所で予定されていた公演がコロナで中止に。今年3月には腰椎椎間板ヘルニアによる右足急性麻痺の診断を受けて緊急手術、約2週間、入院。ギプスは先月末に取れたが両足に治療用テープを巻いており、現在も治療、リハビリ中だ。舞台を駆け回ったり、和装ながら両足を開いて踏ん張ったりしながら全身で歌う神野が以前のように歌えるのか否か。会場を埋め尽くしたファンや、これまで楽曲を提供してきた歌謡界の重鎮らが見守るなか、神野は最高のステージを務めあげた。本人はスポーツ紙の取材に「(完全復帰には)程遠い」と答えている。 本当に色々あった2年半。さまざまな想いが彼女に押し寄せ、時折、感極まる場面もあったのだが、客席からもすすり泣きが聞かれたのは、第1部の8曲目に選んだ『めぐり逢い』前後のMCのときだった。神野美伽が歌い上げた秀樹さんの“遺作” この曲は、カナダ人のピアニスト、アンドレ・ギャニオンのインストゥルメンタル曲にオリジナルの日本語詞をつけたバラード。2018年5月16日、急性心不全のため天に召された西城秀樹さんの事実上の遺作である。 神野と西城さんは、以前、同じ『芸映プロダクション』に所属していた。『東西ちびっこ歌マネ大賞』優勝をきっかけに、10歳でスカウトされた神野にとって10歳上のお兄さん的存在であり、大スターでもあった西城さんのステージは「何度も行かせていただいた」そう。西城さんのライブの代名詞であるスタヂアムコンサートも『大阪球場』で観ているという。 そんな憧れの西城さんが脳梗塞で倒れ、その後、懸命にリハビリをしている様子を追いかけたテレビ番組を「見た……、見てしまったんです」と言った後、沈黙した神野。「秀樹さんは、もっともっと歌いたかったんだと思います…」「秀樹さん、今年がデビュー50周年なんですよ…」と言い、神野は再び言葉を詰まらせた。 そんな西城さんへの特別な想いをこめて、ピアノの伴奏だけで歌い上げた『めぐり逢い』。間奏でワンフレーズだけ『YOUNG MAN(YMCA)』のメロディが弾かれたときには、私も我慢ができなくなり、泣いてしまった。野口五郎「生きていく人に迷いも残した」「西城秀樹」の名前は、5月29日オンエアの『ボクらの時代』(フジテレビ系)でも何度も出てきた。野口五郎×岩崎宏美×大竹しのぶが揃った回だ。野口は「新御三家」で秀樹さんと苦楽を共にし、岩崎は『スター誕生!』(日本テレビ系)で「最優秀賞」に輝き、前述の『芸映』にスカウトされ所属していた。「亡くなっていく人って、生きていく人に迷いも残していったりする」とは野口。岩崎は「五郎さんのコンサートに行ったときに秀樹(年長者や先輩をニックネームや“ちゃんづけ”で呼ぶことが多い岩崎は、秀樹さんのことも親しみをこめて、こう呼んでいる)の声を録音したものを五郎さんが持っていて」と言い、二人の歌声がステージで流れたときには、「まったく別物になっていて、すごく素敵なものだった」「西城秀樹ってすごかったんだなっていうことも、みんな認識できるし」「(五郎さんは)しょっちゅう、(秀樹さんの)お墓参り行ってるし」と変わらぬ友情エピソードを紹介した。 野口は、「もしこれ逆だったら、絶対あいつ(墓前に)来てないなって思うんだけど」と落としつつ、追悼番組の際、涙が止まらなかった野口の隣で、「あとで見て気づいたんだけど、しのぶちゃんが手を握ってくれてたんだよね」と言い、大竹に感謝していた。常に“団結”している秀樹ファン この番組の後、フジテレビには、「西城秀樹さんの話をしてくれて、ありがとうございました」というメッセージが多数送られてきている。もちろん秀樹さんのファンの皆さんからのものである。 私は秀樹さんより2学年下ということで、“新御三家世代”の一人。歌番組の公録や生放送が頻繁に開催されていたNHKホールや渋谷公会堂に通い詰めた時代もある。そのときからずっと思っていたのは「秀樹ファンは団結している」ということ。その印象は、秀樹さんの告別式が行われた青山葬儀所でも変わらなかったし、妻の木本美紀さんが『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小学館)を上梓したときにも、写真集『HIDEKI FOREVER blue』(集英社)が発売されたときも同様だったのである。 その都度、私は関連コラムを書いているが、秀樹さんのファンの方からSNSで御礼のメッセージが届いたり、直筆のお手紙をちょうだいしたりした。 野口五郎は『ボクら~』の中で明かした「生きていく人に迷いを…」は、自身のコンサートで秀樹さんの曲を歌っていいものか迷ったり悩んだりすることを意味していた。 だが、そんな野口に対して秀樹さんファンの多くが「歌ってくれて、ありがとう」と感謝を伝えてくれるというのである。 それが「演歌第7世代」と呼ばれる若手の歌手に対しても同様だというのだから驚く。音楽番組やライブで秀樹さんの曲を必ず歌う新浜レオンは、特に『ギャランドゥ』や『情熱の嵐』を得意としている。5月2日、「おかちまちパンダ広場」で行われた新曲リリース記念イベントのセトリにも、デビュー曲『離さない 離さない』と新曲『ジェラシー~運命にKissをしよう~』との間に『ギャランドゥ』を入れたのだ。 それを知った秀樹さんファンから「多くのリアクションと御礼のコメントをちょうだいしています」と新浜と彼のスタッフは恐縮すると共に、亡くなって4年が経っても、語り、歌い継がれる大スター、西城秀樹さんへのリスペクトと熱い想いを新たにしているという。 デビュー50周年を彩るビデオコンサートや7枚組DVD BOXも、もちろんファンの皆さんは一致団結して応援し支えている。そして、野口五郎、岩崎宏美、神野美伽、新浜レオンら、切磋琢磨してきた同年代の歌手や妹のように可愛がられた歌手、そして息子のような年代の後輩歌手らが語り歌い継ぐ西城秀樹さんは「永遠」だ。◆山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『1周回って知らない話』(日本テレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)などに出演中。CM各賞の審査員も務める。
2022.06.10 07:00
NEWSポストセブン
岩崎宏美『スター誕生!』の思い出は?
岩崎宏美『スタ誕』決戦大会で「お願いします」まで言えなかった思い出
 この10月で放送開始から50周年を迎えた伝説のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系、1971~1983年)。1974年8月11日放送の第11回決戦大会で8社のスカウトを受け、1975年4月にデビューした岩崎宏美に、当時の思い出を聞いた。 * * * 歌手を志したのは『スター誕生!』から同い年の森昌子ちゃんがデビューしたのを観て、刺激を受けたことがきっかけでした。私はその頃、『スタ誕』の審査員をされていた松田トシ先生に歌を習っていたので、まず先生に相談したんですね。そうしたら「受けるのはいいけど、何を歌うの?」と。それで小林麻美さんの『初恋のメロディー』や小坂明子さんの『あなた』など、意中の歌を3曲ほど挙げましたら「あなたの声には小坂さんの歌が合うと思う」とおっしゃったので、『あなた』でエントリーしたわけです。 予選会に参加したのは15歳、中学3年の時でした。運よくテレビ予選、決戦大会に進むことができましたが、印象に残っているのはテレビ予選の後に受けた美容レッスン。決戦大会は指導員の方に指定された衣装を着て、髪にはパーマをかけて出場しました。普段の私はアイビー系のカジュアルなファッションでしたから、真逆でしたね(笑)。 決戦大会ではスカウトマンの方たちの間で動きが見えたので「もしかしたら歌手になれるかも」と。そう思ったら泣きそうになって、「どうぞよろしくお願いします」と言いたかったのに「どうぞよろしく」で言葉が切れてしまいました。8社のプラカードが上がった時の喜びは忘れられません。 デビュー曲の『二重唱(デュエット)』は作詞が阿久悠先生で、作曲が筒美京平先生。筒美先生は『スタ誕』の審査員はされていませんでしたけれども、私は第11回決戦大会でグランドチャンピオンになれたので、外部作家にお願いすることができたと聞いています。 デビューしてからの『スタ誕』は新曲をいち早くお披露目する番組となりましたが、そのために歌詞を間違えることもありました。阿久先生から「忙しいのはわかるが、NGを出すことを習慣にしてはいけないよ」と叱られた時はショックでしたが、どこかクラブ活動的な感覚だった私にプロの厳しさを教えてくださったのだと思います。 振り返ると、私はいい時代にチャンスをいただけた。素人の想いを番組がちゃんと受け止めて、それぞれの個性を生かしながらプッシュしてくれたからこそ、46年も歌い続けてこられたのだと感謝しています。【プロフィール】岩崎宏美(いわさき・ひろみ)/1958年生まれ、東京都出身。1975年のデビュー以来、『聖母たちのララバイ』などヒットを連発。10月20日にアルバム『筒美京平シングルズ&フェイバリッツ』をリリースする。取材・文/濱口英樹※週刊ポスト2021年10月29日号
2021.10.18 16:00
週刊ポスト
岩崎宏美が阿久さんと筒美さんとの思い出を振り返る
岩崎宏美が振り返る阿久悠さんと筒美京平さん 『ロマンス』を巡る対立
 昭和の音楽界にその名を刻む作詞家・阿久悠さんと作曲家・筒美京平さん。その二人が多くの楽曲を提供した歌手・岩崎宏美が、阿久さんと筒美さんとの思い出、名曲との出会いについて語った。 * * * デビュー曲の『二重唱(デュエット)』(1975年)以来、阿久悠先生には約70曲、筒美京平先生には約80曲も書いていただきました。お二人は歌手・岩崎宏美を作ってくださった恩人です。 私はオーディション番組『スター誕生!』を経てデビューしましたが、審査員を務めていた阿久先生は無駄に笑わない方。当時は30代後半だったと思いますが、高校生だった私にはすごく大人に見えて怖い印象もありました。でも、その後は詞をいただくたびに「こんなに年が離れているのに、どうして私の気持ちがわかるのかしら」と。『スタ誕』出身で、やはり阿久先生に詞を書いてもらっていた森昌子さんや伊藤咲子さんたちと「先生って、あんな顔して経験豊富なのかもね」という話をしていました。あははは……。 筒美先生は私が歌手になる前、「この歌、素敵だな」と思って芸能誌の歌本を見ると、決まって“作曲:筒美京平”と表記されていて。ですから、デビュー曲の作曲が筒美先生と聞いた時は、自分はなんて強運なのだろうと思いました。その先生はとてもオシャレで物腰の柔らかい方。 最初のレコーディングでは「将来、多くの人から高音を褒められるだろうけど、あなたの良さは中低音だから、それを忘れないでね。あとはリズム感がちょっと甘いから、リズムのある曲を聴いて勉強しなさい」と言われました。私はジャクソン5が好きでよく聴いていたので少しショックだったのですが、プロの厳しさを先生から教えられた気がします。 阿久先生と筒美先生は『想い出の樹の下で』(1977年)まで、8作連続でシングル曲を書いてくださいましたが、2作目の『ロマンス』(1975年)の時はB面の『私たち』と、どちらをA面にするかで意見がわかれたこともありました。筒美先生は「歌詞は16歳の少女が歌うには色っぽすぎるんじゃないか」とおっしゃって『私たち』に1票。阿久先生は「こういう詞でも岩崎くんが歌えば爽やかに聴こえる」とおっしゃって『ロマンス』に1票。最終的には私を含めた関係者の多数決で『ロマンス』がA面となりました。『ロマンス』はもともとバラードだったらしいのですが、メロディがいいので、アップテンポにしたそうです。キーが高いのでいま歌うのは大変ですが、ファルセット(裏声)を使って、命を削りながら、当時のキーで歌っています。若い世代にも受け継がれる両巨匠が残した名曲たち デビュー当時の私は歌詞のことは深く考えず、リズムに乗り遅れないように歌っていましたが、転機となったのは『思秋期』(1977年/作曲:三木たかし)です。阿久先生の詞が高校を卒業したばかりの私の心情と一致したんですね。泣けて歌えなくなったのはあの時が初めてでした。 1978年には6作ぶりに阿久先生と筒美先生のコンビが復活して『シンデレラ・ハネムーン』を歌いました。夜遊びしている女の子の歌ですが、いま聴いてもカッコいいディスコサウンド。最近はお笑いコンビのダイノジさんが「音楽配信サービスで岩崎宏美のディスコソングを聴いたら、その凄さがわかる!」とプッシュしてくださっています。 動画サイトに投稿された昔の映像にも若い人から好意的なコメントが寄せられていますし、私の息子たちもカッコよくて好きだと言ってくれる。そういう歌をお二人に作っていただけたのはありがたいことですよね。 筒美先生には2枚のアルバムで全曲を作曲していただきましたが、ロサンゼルス録音の『WISH』(1980年)の時は、現地で先生の40歳のお誕生日をお祝いしました。そのアルバムの1曲『WISHES』(作詞:橋本淳)は、先生のピアノと私の歌だけで同時録音した想い出の作品です。 いつも当たり前のようにレコーディングに立ち会ってくださった両先生ですが、後年、それは特別なことだったと知って、なおのこと感謝の念が強くなりました。 阿久先生は「こう歌いなさい」とおっしゃることは一度もありませんでしたけれども、お亡くなりになる数か月前、ラジオ番組でご一緒した時に「僕は岩崎宏美をどうやって成人させるか、いつも考えていたんだよ」って。そこまで親身に考えてくださっていたのかと、胸が熱くなりました。 筒美先生とは10年ほど前、青山のスポーツクラブでお会いしたのが最後です。2019年に先生の曲で構成したカバーアルバムをリリースした時は「宏美さんらしく、丁寧に歌ってくれて心に沁みた。友人にも聴かせたいから、20枚送ってくれる?」というメッセージをいただけたことが嬉しかったですね。 私も還暦を超えましたが、コロナ禍による自粛期間中に歌への想いが強くなりました。これからも阿久先生・筒美先生の曲を大切に歌い続けていきたいです。【プロフィール】岩崎宏美(いわさき・ひろみ)/1958年生まれ、東京都出身。1975年のデビュー以来、『聖母たちのララバイ』(1982年)などヒットを連発。8月は東京・大阪でアコースティックライブを開催する。取材・文/濱口英樹※週刊ポスト2021年8月13日号
2021.07.28 19:00
週刊ポスト
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昭和女性ポップス座談会・後編“女王”は和田アキ子か、ユーミンか
 1970~1980年代にかけて、日本の音楽シーンで人気を博した「シティポップ」が、いま世界中の音楽ファンから注目されている。このリバイバルブームにおいて、象徴的な存在となっているのが、竹内まりや『PLASTIC LOVE』(1984年)や松原みき『真夜中のドア〜stay with me』(1979年)といった女性アーティストによる楽曲だ。 そこで、昭和ポップスをこよなく愛する、俳優・歌手の半田健人さん、昭和歌謡ライターの田中稲さん、ウェブサイト『昭和ポップスの世界』を運営するさにーさんに、「昭和女性ポップス・マイベスト10」をセレクトしてもらった。そのランキングを受けての座談会を開催。ここでは、1位と2位の楽曲について語り合う。■半田健人さんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:伊東ゆかり『グリーン・ジンジャー・フライング』(作詞:ジェリー伊藤、作曲・編曲:東海林修/1971年)2位:弘田三枝子『マイ・メモリィ』(作詞・作曲:弘田三枝子、編曲:鈴木宏昌/1977年)3位:いしだあゆみ『バイ・バイ・ジェット』(作詞:橋本淳、作曲:細野晴臣、編曲:萩田光雄、細野晴臣/1977年)4位:和田アキ子『私夢を見るの』(作詞・作曲:石津善之、編曲:馬飼野俊一/1973年)5位:あべ静江『長距離電話』(作詞:藤公之介、作曲:佐藤健、編曲:林哲司/1977年)6位:小川知子『別れてよかった』(作詞 : なかにし礼、作曲・編曲 : 川口真/1972年)6位:由紀さおり『ヴァリーエ』(作詞:山上路夫、作曲:S・リタルド、編曲:渋谷毅/1971年)6位:麻生よう子『逃避行』(作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野俊一/1974年)6位:岡崎友紀『グッドラック・アンド・グッドバイ』(作詞・作曲:荒井由実、編曲:萩田光雄/1976年)6位:桑江知子『Mr.Cool』(作詞:佐藤奈々子、作曲・編曲:小林泉美/1980年)【プロフィール】半田健人さん/俳優・歌手。1984(昭和59)年生まれ。『仮面ライダー555』(テレビ朝日系)で初主演。2014年に『せんちめんたる』をCD&LP同時発売。2017年全曲自宅録音『HOMEMADE』リリース。作曲家、タレントとして活動。ラジオ『林哲司・半田健人 昭和音楽堂』(SBS静岡放送、日曜21時~21時30分)に出演中。■田中稲さんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:岡田奈々『青春の坂道』(作詞原案:中司愛子、作詞:松本隆、作曲:森田公一、編曲:瀬尾一三/1976年)2位:和田アキ子『古い日記』(作詞:安井かずみ、作曲・編曲:馬飼野康二/1974年)3位:五輪真弓『恋人よ』(作詞・作曲:五輪真弓、編曲:船山基紀/1980年)4位:谷山浩子『まっくら森の歌』(作詞・作曲:谷山浩子、編曲:乾裕樹/1985年 NHK『みんなのうた』初出)5位:大貫妙子『黒のクレール』(作詞・作曲:大貫妙子、編曲:坂本龍一/1981年)6位:泰葉『フライディ・チャイナタウン』(作詞:荒木とよひさ、作曲:海老名泰葉、編曲:井上鑑/1981年)7位:山口百恵『絶体絶命』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄/1978年)8位:大場久美子『エトセトラ』(作詞:小林和子、作曲・編曲:萩田光雄/1978年)9位:中島みゆき『ファイト!』(作詞・作曲:中島みゆき、編曲:井上堯之/1983年)10位:高田みづえ『硝子坂』(作詞:島武実、作曲:宇崎竜童、編曲:馬飼野康二/1977年)【プロフィール】田中稲さん/昭和歌謡ライター。1969(昭和44)年生まれ。大阪を拠点に活動する昭和歌謡ライター。ほかにも、ドラマ、NHK紅白歌合戦、懐かしブームなども得意テーマとしている。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)など。CREA WEBにて『田中稲の勝手に再ブーム』、DANROにて『いつも心にぼっち曲』を連載中。■さにーさんの「昭和女性ポップス」マイベスト101位:和田アキ子『あの鐘を鳴らすのはあなた』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:森田公一/1972年)2位:岩崎宏美『思秋期』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:三木たかし/1977年)3位:ペドロ&カプリシャス『ジョニィへの伝言』(作詞:阿久悠、作曲・編曲:都倉俊一/1973年)4位:ちあきなおみ『夜へ急ぐ人』(作詞・作曲:友川かずき、編曲:宮川泰/1977年)5位:しばたはつみ『マイ・ラグジュアリー・ナイト』(作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:林哲司/1977年)6位:渡辺真知子『かもめが翔んだ日』(作詞:伊藤アキラ、作曲:渡辺真知子、編曲:船山基紀/1978年)7位:大橋純子『サファリ・ナイト』(作詞:竜真知子、作曲・編曲:佐藤健/1978年)8位:原田知世『天国にいちばん近い島』(作詞:康珍化、作曲:林哲司、編曲: 萩田光雄/1984年)9位:河合奈保子『ラブレター』(作詞:竜真知子、作曲:馬飼野康二、編曲:若草恵/1981年)10位:能瀬慶子『アテンション・プリーズ』(作詞:喜多條忠、作曲:浜田省吾、編曲:船山基紀/1979年)【プロフィール】さにーさん/1992(平成4)年生まれ。1970〜1980年代のヒット曲の情報サイト『あなたの知らない昭和ポップスの世界』を運営。昭和ポップスの魅力を伝えるため、ラジオやテレビにも出演。『らじるラボ』(NHKラジオ第1)で、『さにーのZOKKON!昭和ポップス』(毎月第2・第4金曜午前10時半~11時)を担当。──では、2位から見ていきましょう。半田:ぼくの2位は弘田三枝子さんの『マイ・メモリィ』(1977年)です。弘田さんは『人形の家』(1969年)が有名ですが、元はMIKOの愛称で「ポップスの女王」と呼ばれていました。『マイ・メモリィ』は作詞作曲も担当している。彼女がこんな上質なポップスを歌っていることを知ってほしいんです。 そして、1位は伊東ゆかりさんの『グリーン・ジンジャー・フライング』(1971年)。ゆかりさんは、弘田さんよりもキャリアが長く、1950年代から日本のポップス黎明期にかかわっています。この曲は1971年に発表したものですが、ソフトロックの名盤といわれています。そのキャリアと癒しの声に敬意を表しての1位です。田中:こんな素敵なポップスが眠っていたとは、1970年代恐るべしですね!  私の2位は、和田アキ子さん『古い日記』(1974年)です。この時代に同棲を題材にした、安井かずみさんの作詞がかっこよくて興奮します。さにー:歌詞は暗いのにサウンドはポップだから、若かりし頃の燃え上がるような情熱を想起させるところがむちゃくちゃ好きで、私も入れるかどうか、悩みました~。田中:1位は岡田奈々さんの『青春の坂道』(1976年)。これは、耳に入って来た瞬間、「あ、この曲好き」って。何も知らないのに震えるほど感動したんです。さにー:最初ビビッときたのはメロディーですか?田中:歌詞とメロディーに、「ああ、青春って本当にそんな感じ!」みたいな(笑い)。半田:この曲はたぶんね。詞が先なんですよ。当時の歌謡曲って8割がた曲が先ですが、森田公一さんは、詞を読んで、それにふさわしいメロディーをつける天才ですよ。さにー:私の2位は、岩崎宏美さんの『思秋期』(1977年)です。田中:私もコレ、入れたかったー! 本当に名曲だと思う。さにー:フフフフフ(笑い)。岩崎さんで好きな曲はたくさんありますが、すごい曲っていわれたら、『思秋期』がいちばん。カラオケに行ったときに母が歌い、あの転調を2回するところがたまらなくて。「この曲、私に頂戴」って母にお願いした思い出の曲です。半田:その転調は『シェルブールの雨傘』が元歌です。ミシェル・ルグランというピアニストが作曲した世界的楽曲がマイナーメロディーで転調していく。聴いてみてね。さにー:はい。聴いてみます! そして私の1位は、アッコさんの『あの鐘を鳴らすのはあなた』(1972年)です!半田:ぼくはね、サビはもちろんだけど、出だしが好き、やさしくて。さにー:若いときのアッコさんのビブラートが細かくて、心にまっすぐ訴えかけてくる。年を重ねてからはビブラートが深くなり、すべてを包み込む人類愛を感じます。田中:お~~。半田:地球規模だよね。さにー:この曲を聴いて感動する人ばっかりだったら、世界は平和になるんじゃないかなって思うんですよね。──ありがとうございました。3人そろって和田アキ子をランクインさせたのはおもしろいですね。田中:アッコさんは、女性ポップスの最高の歌い手ですよね! もっと歌ってほしいです。半田:最後に女性ポップスの女王を決めるなら、ランキングに入れていませんが、ぼくは、ユーミンがいいと思う。ある意味、別格の殿堂入りの存在ですから。さにー:そしてナンバー1ソングは、今回もそれぞれの心の中にある順位でいい。そんな結論でしょうか(笑い)。──みなさんもご自身が昔好きだった懐かしの「昭和女性ポップス」を思い出し、たまには口ずさんでみませんか?取材・文/北武司 撮影/浅野剛※女性セブン2021年5月20・28日号
2021.05.17 07:00
女性セブン
山田邦子、岩崎宏美、横山剣らが語る『みんなうた』に携わった喜び
山田邦子、岩崎宏美、横山剣らが語る『みんなうた』に携わった喜び
 NHK総合、Eテレ、NHK-FMなどで毎日放送されている5分間の音楽番組『みんなのうた』が、4月に60周年を迎える。子供から大人まで、幅広い世代が楽しめるオリジナル曲が揃うこの番組。60年の間にはさまざまな「うたの作り手」が誕生した。「NHKからは、作詞、作曲のどちらでもいいから(やってほしい)と言われたんです」 タレントの山田邦子(60才)が懐かしそうに振り返る。NHK「好きなタレント調査」で初の1位になった人気絶頂の1988年、『みんなのうた』からオファーがあったという。「本当に『なんでもいい』って言ってくれて、それがすごくうれしくて、『やります!』って即答したのを覚えていますね」(山田) 山田にとって『みんなのうた』は、幼い頃の記憶を思い出させるものだった。「兄も弟も病気がちだったから、私は小さい頃に母に構ってもらうことができなかったんです。家の中ではうるさくできないし、当時はゲームや携帯がないから、祖母の仏間にあったテレビの音を小さくして『みんなのうた』をよく見ていました」(山田) NHKからの依頼を受けた山田が作ったのが『サボテンがにくい』という曲。いつも雑に扱われているのに、ある日突然きれいな花を咲かせるサボテンに淡い思いを寄せるチャーミングな歌だ。この曲がオンエアされると、母が声を弾ませて連絡してきた。「『あの番組にあなたの曲が出るなんてすごいね』と本当に喜んでくれました。『変な歌だけど』とも言われたけれど、アハハ。当時は突然頭を丸坊主にしてみたりなど母には心配をかけていましたが、サボテンの曲で親孝行ができた気がします。そのあと『ちょっとずつ秋』(1989年)という歌も作らせていただきました」(山田) 世に知られていない気鋭のクリエイターと有名歌手がコラボすることも『みんなのうた』の見せ場のひとつだ。2003年に岩崎宏美(62才)が歌った『笑顔』は、目の見えない音楽家の永田雅紹さんが作詞作曲し、『君の名は。』を発表する前の映画監督・新海誠さんが映像を担当した。岩崎の伸びのある澄んだ声とともに、回し車をぐるぐると走るハムスターの映像が印象的な作品だ。岩崎が当時を振り返る。「NHKからは『新海監督の光の入る映像が素晴らしいのでぜひ入れたい』と言われて、曲もとても心地よいメロディーだったので歌わせていただきました。真っすぐな歌だったから、笑顔を浮かべてストレートに歌うことを心がけました。私は子供の頃から『みんなのうた』を見て育ったので、自分の名前がテロップで出たのは本当にうれしかったですね。そして何より新海くんの映像がとてもかわいらしかった」 クレイジーケンバンドのボーカルや作曲家、作詞家として幅広いジャンルの音楽に携わる横山剣(60才)も、幼い頃から『みんなのうた』に慣れ親しんだ。「当時から子供をなめることなく、子供向けでもしっかりしたクオリティーの楽曲を大人が一生懸命に作っていることを、幼いながらに感じていました。歌詞がテロップで出て、子供でも音楽を聴きながら歌詞がわかるのもよかった。作詞作曲するうえで原点となる番組でした」(横山)『みんなのうた』を熱心に視聴した横山は、「大人になったらこの番組に楽曲を提供するんだ」というイメージを抱き続けた。その思いが現実になったのが、子供の頃に感じた将来への不安を振り返り、聴く者を励ます『スパークだ!』(2014年)という曲。歌詞に込めた思いを横山が語る。「NHKの依頼を受けたときは『よし、キター!』って感じでした。ぼくの子供の頃は、宇宙飛行士やオリンピック選手やカーレーサーになりたいと思いながら、このまま大きくなって本当に“なりたい自分”になれるのかという悩みや葛藤があった。そうした子供心を振り返って、『スパークだ!』とエールを送るのがこの曲です」(横山) 子供の夢を後押しするこの曲は、あの頃、『みんなのうた』を見ていた自分に向けた歌でもあったという。 歌手の半崎美子(40才)は2017年に放送されたデビュー曲『お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~』で、愛情のこもった弁当を手紙代わりに、子供の成長をそっと見守る母の姿を描いた。 半崎は当時、デビューもしていない無名の新人。『みんなのうた』で楽曲が放送されたのは、歌手になるために生まれ育った北海道から縁もゆかりもない東京へ乗り込んで16年あまりが過ぎた頃。地道にショッピングモールでのライブを続けていたときのことだった。約1年もの歳月をかけて作られた彼女の曲は、同じ時期に放送されていたほかの曲が1曲2分20秒の放送時間のなか、フルバージョンの4分40秒が放送されたのだ。彼女が番組の影響力を思い知ったのは、放送後の反響からだ。「ショッピングモールのミニライブのお客さんには、それまで音楽を聴かなかったかたが目立つようになりました。おじいちゃんやおばあちゃんの反響も大きく、自分の子供の頃を振り返って親世代を懐かしむかたが多かった。『70年生きていて、初めてCDを買いました』というかたもいらっしゃいました」(半崎)「お弁当」という誰もが知るアイテムをめぐって、作る人と作ってもらう人の思いやりや感謝が交錯する。Mr.ChidrenのPVなどで知られる、日本を代表する映像作家の半崎信朗さんが制作した映像も相まり、この曲は広く人々の心に届いた。 半崎はこの番組で人生が変わったと語る。「『みんなのうた』という普遍的で、誰もが知っている番組で放送されたことが、私の曲の浸透にもつながりました。そこをベースにみんながお弁当に自分自身を投影したからこそ、各地で共感していただいたのだと思います。この先私がこの世からいなくなってもこの曲が歌い継がれていくといいなと思っています」 渾身の一曲は今回のランキングでも50位内に入り、名実ともに「歌い継がれる歌」の1つとなった。※女性セブン2021年3月11日号
2021.03.01 07:00
女性セブン
追悼・筒美京平さん 岩崎宏美と早見優が語る昭和の歌謡界
追悼・筒美京平さん 岩崎宏美と早見優が語る昭和の歌謡界
 日本の歌謡界にその名を深く刻む、偉大な作曲家・編曲家の筒美京平さん(享年80)が、2020年10月7日に誤嚥性肺炎で亡くなった。数々の名曲を生み出してきた筒美さんの訃報に、青山学院大学の後輩である、放送作家でコラムニストの山田美保子さんも大きなショックを受けたという。 そんな山田さんが、筒美さんの名曲を歌ってきた岩崎宏美(62才)と早見優(54才)を迎え、筒美さんとの想い出や当時の歌謡界について聞く。先生の代表曲には洋楽テイストが入ったものが多かった早見:お忙しくて私の頃はレコーディングにはいらしていただけなくて、事務所の音楽出版のスタッフと打ち合わせをして曲を作ってくださっていたんです。でもやっぱり、スタッフも言ってました。「京平先生はシャイなかただから」って。いま、こうして楽曲リストを見せていただきながら感じるのは、ジャンルの幅が本当にお広いということなんです。庄野真代サン(65才)の『飛んでイスタンブール』とか宏美サンの『シンデレラ・ハネムーン』、それにジュディ・オングさん(70才)の『魅せられて』など、先生の代表曲には洋楽のテイストが入った曲も多い。あの時代は、AMラジオの『FEN』(米軍極東放送網)を聴くぐらいしか方法がなかったし、情報収集も大変だったと思うのに、先生は高いアンテナを張っていらしたんだなぁと……。岩崎:そうね。新しい音楽を誰よりも早く手に入れていらした。そういうカッコイイ曲を1960年代後半のグループサウンズの時代から作っていらっしゃる一方で「パーマン」(『パーマン2号はウキャキャのキャ』)や「怪物くん」(『おれは怪物くんだ』)、『サザエさん』などアニメのテーマ曲も作っていらっしゃる。それはもう、お忙しかったわけですよね。山田:でも、先生の曲を聴いていた私たち視聴者も忙しかったんですよ。まだビデオがなかったから、全部、リアルタイムで見ていました。しかも私は、郷ひろみサンのバックに付いていたジャニーズJr.第1期生の追っかけだったときがあって、特に月曜日の目まぐるしさは忘れられません。まず渋谷公会堂で『NTV紅白歌のベストテン』(日本テレビ系)の席をキープして、追っかけ仲間とコールの練習をしてからお隣のNHKホールに行って『レッツゴーヤング』の公(開)録(画)を見て、また渋公に戻って『歌のベストテン』を見て、慌てて帰宅して『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)を見ていたという。早見:そうです、月曜日は大忙しでした。私の時代は『ザ・トップテン』(日本テレビ系)になっていて、そんなに部屋がない渋谷公会堂の「女性楽屋」で宏美サンやアン・ルイスさん(64才)と一緒になるのがすごく楽しかったです。「うわ~、岩崎宏美サンだ~」って。宏美サンの爪がものすごくキレイで、誰よりも長く伸ばしていらしたのも鮮明に覚えています。岩崎:あの頃、ネイルをやっていたのは(芳村)真理サン(85才)と私だけだったから(笑い)。それも(形が)ラウンドではなくてスクエアだったの。早見:そうでしたよね~。真理サンは本当にオシャレでいらしたから、『夜ヒット』の衣装は私たちも張り切っちゃいました。真理サンに褒められたかったから。山田:目に浮かぶようです。素敵な時代でしたよね。時代といえば、あの頃は歌手になることを夢見る少女が本当に多かった。私、「スクールメイツ」でも「ザ・バーズ」でも「ヤング101」でもいいから「なりたい」って思ってましたもん(笑い)。岩崎:「ヤング101」といえば、『ステージ101』(NHK)に、私と同じ年に新人賞を獲った太田裕美チャン(65才)が出ていたでしょう? 裕美チャンのデビュー曲の『雨だれ』も先生の曲なんですよ。私は2019年、先生の作品のカバーアルバム(『Dear Friends VIII 筒美京平トリビュート』)を出したとき、『雨だれ』を歌わせてもらったんですけれど、デビューのとき、私が『雨だれ』で裕美チャンが『二重唱(デュエット)』だったら……と考えたら、また違っていたのかしらと思いますよね。 最近、エレファントカシマシの宮本浩次サン(54)が『ロマンス』をカバー(アルバム『ROMANCE』に収録)してくださって、若いかたたちに新しくてカッコイイ『ロマンス』を聴いていただけることもまた先生のお陰だと思います。山田:そういえば優チャンの『夏色のナンシー』も、替え歌となって「日清シーフードヌードル」のCMソングとして話題ですよね。まさか最後に“ご本人登場”となるとは(笑い)。早見 ありがとうございます。先生に見ていただきたかったです。ずっと大切にしたい一曲です。岩崎:絶対に喜んでくださっていると思うわよ。私も、先生に感謝しながら大切に大切に歌い続けます!構成/山田美保子『踊る! さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。◆撮影/田中智久※女性セブン2021年1月8日号
2021.01.02 07:00
女性セブン
『鬼滅の刃』の竈門炭治郎のような緑の市松模様の衣装をまとった角川博(公式ブログより。左は神野美伽)
大晦日には鬼滅シンクロの奇跡も いま角川博から目が離せない!
 2020年大晦日の夜10時前、嵐が活動休止前最後の『NHK紅白歌合戦』でメドレーを歌唱していた頃、裏番組『年忘れにっぽんの歌』(テレビ東京系)は終盤に差し掛かっていた。 日本中が『紅白』に注目していた21時48分、テレビ東京では黒と緑の市松模様の男が舞台袖から現れた──。2020年にデビュー45周年を迎えた角川博が『鬼滅の刃』の竈門炭治郎をイメージしたかのような衣装で登場したのだ。 思わぬ出で立ちに、ネット上は騒然。角川は世間の声に反応するかのように、『許してください』を歌い始めた。角川の歌唱中、紅白では嵐のメドレーが終わり、LiSAの『鬼滅の刃紅白メドレー』がスタート。NHKとテレ東で、まさかの“鬼滅シンクロ”が生まれた。 絶妙なタイミングで“奇跡”を起こした角川博。思い返せば年末からのハッスルぶりは、注目に値するものだった。 まずは、ゲスト出演した12月25日の『GO!GO!フライデーショー!』(ラジオ大阪/パーソナリティー・大西ユカリ、ヤナギブソン、川田一輝)を振り返ってみよう。登場するや否や、「あけましておめでとうございます」とひとボケをかまし、「テレビで見るより細いですね」と言われると「テレビでは小錦くらいに見える」とふたボケ目に突入。この間、わずか17秒だった。その後、この日が67歳の誕生日だと触れられると、「小さい頃、辛いよ。全部1つにまとめられるからね」と話し、「誕生日、クリスマス、お年玉の3密」と笑わせた。甲子園の常連校である広陵の野球部時代の話題に移っても、角川は手を緩めない。ヤナギブソン:ポジションはどこだったんですか?角川博:ポジション? キャッチャーの後ろ。ヤナギブソン:審判じゃないですか、それ。 軽快なやり取りで場を和ませたかと思えば、得意のモノマネも惜しみなく繰り出す。美川憲一、淡谷のり子、三波春夫、森進一、美空ひばり、郷ひろみと次から次へと披露し、最後は勢い余って三波春夫の声で「ジャパ~ン」と呟いた。パーソナリティーが「メッセージも」と言うと、「ソーセージ?」とギャグは止まらない。あまりのボケぶりに、「ちょいちょいボケはる」「結構なペース」と突っ込まれるほどだった。それもそのはず、角川はわずか21分の出演で30回以上(※モノマネ含む)もボケていた。 角川のハッスルぶりは、ラジオだけに留まらない。その6日前、12月19日の歌番組『人生、歌がある』(BS朝日)では、オープニングから派手な赤いジャケットを着用。他の歌手が歌えば「○○ちゃん!」と大きな声援を送り、献身的な一面を見せた(※番組中、全歌手装着のフェイスシールドは角川博のガヤ対策説あり?)。 千昌夫、福田こうへいと3人で『高校三年生』を歌う際には、学ラン姿に変身。イントロが始まり、セットの階段を登っている途中、つまずいて自ら苦笑するというアクシンデントもあった。 だが、ナチュラルなハプニングはこれだけに収まらなかった。『筒美京平トリビュート』のコーナーでは雛壇に座る出演者の前で、筒美京平作曲の16曲が歌われた。トップバッターの野口五郎が『甘い生活』を歌い終え、自分の席に戻る。同じタイミングで『ロマンス』のイントロが流れ、岩崎宏美が前に出てきた。雛壇に座っていた角川博は、野口五郎を通すため、席を立った。 その瞬間、岩崎宏美が〈あなたお願いよ 席を立たないで〉と歌い始めた──。どんなに狙っても、こんなミラクルは起きない。 その後も、田原俊彦が『抱きしめてTONIGHT』のサビでムーンウォークをすると、角川は座りながらそのマネをする“座高ムーンウォーク”を披露。天童よしみ、大月みやこ、松原のぶえ、原田悠里、中村美律子の5人が『なんてったってアイドル』を歌い始めると、五木ひろしと一緒に椅子から転げ落ちてリアクションを取った。そして、『よろしく哀愁』を福田こうへいとともに歌う場面では、終始郷ひろみのモノマネで通し、雛壇にいる野口五郎を爆笑させた。角川は、この番組でも黒と緑の市松模様のスーツを着ていた。歌以外の場面でも、意気軒昂だった。その奥には、こんな哲学が隠されているようだ。〈歌い手といっても、歌だけ歌ってちゃダメですよ。いろいろ手を出すと、物事の幅が広がるんですよね〉(2020年12月25日『GO!GO!フライデーショー!』) 普段から周りを盛り上げ、果敢に笑いを取りにいく姿勢があるからこそ、大晦日に活動休止前の嵐の真裏で出番が回り、LiSAと局を跨いだ“鬼滅の刃シンクロ”という思いもよらぬ奇跡を実現でき、大きな話題を呼べたのではないだろうか。 2021年は角川博ブームが起こる。そう予感せずにはいられない年末の角川フィーバーだった。■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。本人や関係者への取材、膨大な一次資料、視聴率などを用いて丹念な考察をした著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)が話題に。
2021.01.01 19:00
NEWSポストセブン
サザン、尾崎豊を輩出した青学 その土壌を作った筒美京平さん
サザン、尾崎豊を輩出した青学 その土壌を作った筒美京平さん
 2020年10月7日、誤嚥性肺炎により逝去した筒美京平さん(享年80)。青山学院大学の大先輩でもある名作曲家の訃報に放送作家でコラムニストの山田美保子さんにとっても、ショックが大きかったという。 そんな筒美さんの楽曲を見事に歌いこなし、大ヒットを生んだのが岩崎宏美(62才)と早見優(54才)。山田さんが2人の歌手を招いて、筒美さんとの想い出を語ってもらった。サザンや尾崎を排出した青学の土壌は先生が作った山田:筒美先生との最大の想い出をお聞かせいただけますか?岩崎:やはりレコーディングですね。ロサンゼルスで先生のお誕生会をしたこともありました。先生はとにかくオシャレでいらして、ダブルのスーツに太めのネクタイが本当にお似合いだったんです。それも黒とか紺ではなくて、茶のツイードにからし色のパンツを合わせていらして、靴は必ず焦げ茶。でもサイズが24.5cmくらいと小さくて、「なかなか数が入って来ないから、いつも田邊の昭ちやん(田邊昭知さん=田辺エージェンシー代表取締役社長)と取り合いになるのよ」と(笑い)。山田:オシャレなかただったというエピソードは本当に多いですよね。実は私は青山学院の初等部から大学までの後輩なので、学校から届く冊子に出ていらした先生の写真を拝見して、なんて素敵な先輩なんだろうと。青学はサザンオールスターズや原田真二サン(62才)、尾崎豊さん(享年26)、Dragon Ashなどなど多くの著名なミュージシャンが在学していたんですけれど、そうした土壌も先生が作ってくださったのだと信じています。岩崎:白のメルセデスに乗っていらしたのもカッコよかったですよ。実は先生は免許をお取りになったのが遅くて、私と仮免許取得の時期が同じだったんです。晴れてふたりとも、免許を取ることができて青山通りなんかですれ違って「先生~~」って声をかけると、すっごくうれしそうな顔をなさって。シャイだけれど、とってもチャーミングなかたでもありましたね。山田:クルマに関しては、先生の訃報に際して『ラブ・シュプール』『抱きしめてTONIGHT』など約50曲もの楽曲提供を受けた田原俊彦サン(59才)がブログで「品のあるたたずまい」「真っ黄色なポルシェに乗って颯爽と帰っていく」と綴られていました。早見:うらやましい。トシちゃんとはデビューが2年しか違わないのに、私は先生にお会いしたことがなくて。岩崎:エ~~~ッ!構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。撮影/田中智久※女性セブン2021年1月7・14日号
2020.12.30 16:00
女性セブン
追悼・筒美京平さん 早見優が語る『夏色のナンシー』の歓喜
追悼・筒美京平さん 早見優が語る『夏色のナンシー』の歓喜
 数え切れないほどの名曲を世に送り出した筒美京平さん(享年80)が10月7日に亡くなった。放送作家の山田美保子さんにとって、筒美さんは母校である青山学院大学の大先輩であり、そのショックも大きかったという。筒美さんを敬愛する山田さんが、筒美さんのヒット曲を歌ってきた岩崎宏美(62才)と早見優(54才)を招き、筒美さんの思い出を聞く。 * * *山田:宏美サンはデビュー曲の『二重唱(デュエット)』から筒美京平先生(以下、先生)の作品が続きましたよね。(楽曲リストを眺めて)本当にどの曲も印象的だし、宏美サンの圧倒的な歌唱力と伸びのある歌声にピッタリ。実は先日出演した『クイズ!脳ベルSHOW』(BSフジ)のイントロクイズに『ロマンス』が出題されたときも、私、真っ先に答えられました。岩崎:そうやって、皆さんが一曲、一曲を鮮明に覚えていてくださるのは、まさに先生のお力だと心から感謝しています。2020年11月に出演した『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)で、マツコ・デラックスさん(48才)率いるオネエ軍団さんたちの前で『女優』を歌わせていただいたんですけれど……。山田:拝見しました。マツコさんがこれまで3000回は聴いていて、Stay Home中に1日100回は聴いていた『女優』を釜愚痴ホモ恵サンも「想い出の曲」に挙げられていて。先生の曲の力って本当にスゴイ!岩崎:私自身、物心ついた頃から口ずさんでいたのが郷ひろみサン(65才)の『よろしく哀愁』やシンシア(南沙織サン・66才)の曲で、調べたらすべて先生の作品でした。小林麻美サン(67才)の『初恋のメロディー』とか、「この歌、好き」って思う曲は何もかも本当に全部!山田:私も同じです。昔の歌番組は、タイトルの脇に必ず作詞・作曲者名が出ていたじゃないですか。「なんで、いつも同じ人なんだろう」と四文字熟語のように覚えたのが「筒美京平」。岩崎:1か月に45曲も作っていらしたときもあったそうなので“影武者説”が出たのもわかりますね。私も数えたら80曲も作っていただいていました。でもいちばん多いのは野口五郎サン(64才)。108曲ですって!山田:五郎サン、デビュー曲は『博多みれん』という演歌でしたものね。でも2曲目に先生の『青いリンゴ』を歌ったことで「新御三家」に名を連ねるんですから、先生は歌手の皆さんの運命を変えたと言えますよね。早見:それは私も同じです。先生に作っていただいた『夏色のナンシー』はデビューから5曲目なんです。同期の松本伊代チャン(55才)とか小泉今日子チャン(54才)はすでに先生がお作りになったポップな曲を歌っていたのに、私はデビュー曲以外、バラードが続いていたんですね。 スタッフも私をどう売ろうか悩んでいたんだと思うんですよ。その頃、コカ・コーラのCM出演が決まって、それに合わせてサビの部分だけできていたのが『ナンシー』で、「あ、うれしい、やっと明るい曲がもらえた」と……。岩崎:優チャンにピッタリだった!早見:ありがとうございます。その後に続いた『渚のライオン』『ラッキィ・リップス』までの「三部作」は私にとっての人生の宝物だと言っても過言ではありません。山田:それにしても、あの頃はリリースのサイクルが速かったですよね。岩崎:歌番組も本当に多かったから。いまでは考えられないわよね。全曜日、全テレビ局に行って生放送で歌って、夜遅くなってからレコーディング……なんて……、よくやっていたと思います。【プロフィール】岩崎宏美(いわさき・ひろみ)/『スター誕生!』合格を機に1975年『二重唱(デュエット)』で歌手デビュー。以後『ロマンス』『思秋期』『聖母たちのララバイ』などヒット曲多数。デビュー45周年を記念したライブベストアルバム『LIVE BEST SELECTION 2012-2020 太陽が笑ってる』が発売中。早見優(はやみ・ゆう)/1982年『急いで!初恋』で歌手デビュー。1983年、コカ・コーラのCMに出演し、BGMで使用された『夏色のナンシー』が大ヒット。上智大学比較文化学部日本文化学科を卒業。2020年10月から放送された「日清カップヌードル シーフードヌードル」のCMではデビュー当時と変わらぬ歌声を披露するなど、テレビ、舞台を中心に活躍。構成/山田美保子『踊る! さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。◆撮影/田中智久※女性セブン2021年1月7・14日号
2020.12.26 07:00
女性セブン
岩崎宏美(右)と岩崎良美の姉妹がデビューからを振り返る
デビュー45周年・40周年の岩崎宏美&良美 節目の対談
 今年でデビュー45周年となる岩崎宏美と、デビュー40周年となる岩崎良美。日本が誇る歌姫姉妹が、節目を記念して特別対談を行った。デビュー当時の初々しい写真を見た2人は、思い出話に華を咲かせる──。宏美:懐かしい写真ばかり。いずれもデビュー当時のものですね。妹はドラマ出演が先でしたが、2人とも16歳で芸能界に入って。良美:私たちにはもう1人、姉がいて、小さい頃から3人一緒にスリー・ディグリーズの歌などを歌っていたので、デビューしたヒロリン(宏美)を見て、私も歌手になりたいと思うようになったんです。宏美:でも最初は周囲の方たちから「歌い方が似てしまうから、お姉さんの曲は聴かないように」って言われていたんでしょう?良美:そう、確かに声は似ているからね。最近は顔も似てきたけど(笑い)。宏美:2人とも実家にいた頃、妹がドラマで共演した方からの電話を私がとったんです。先方が「あっ、良美ちゃん?」って話し出したから、「宏美ちゃ~ん」って答えたらビックリされたことがありました(笑い)。良美:母さえ声の区別がつかなかったものね。でも性格は全く違って、ヒロリンは誰とでもすぐに仲良くなれるけれど、私は人見知りが激しくて。宏美:私はとにかくお転婆で。子供の頃は「ブランコを替わってもらえない」と泣いて帰ってきた妹と一緒に公園まで行って、意地悪している男の子から取り返したこともありました。良美:そんなヒロリンが歌手になったら、次々と女の子らしい歌を歌うようになって。私は特に『ドリーム』(1976年)がお気に入りで、当時は何かいいことがあるたびに〈あ~夢かしら~〉のフレーズを口ずさんでいたんです。宏美:そうだったの!?(笑い)。私はヨシリン(良美)の歌ではデビュー曲の『赤と黒』(1980年)が特に好き。レコーディングにも立ち会って、とてもムードのある素敵な曲だと思いましたから。でも彼女がデビューしてからは共演する機会はそれほど多くなくて。良美:いつだったか『ヤンヤン歌うスタジオ』で私が人力車の車夫に扮して、お客さん役のヒロリンを乗せるコントがあったんです。でもいざ走ろうとしたら人力車があまりにも重くて、一瞬手を離したら……。宏美:私を乗せたまま車がドーンと後ろに倒れて。幸い怪我はしませんでしたが、あの時は怖かった!良美:あれはまいったよね。宏美:まいったのは私のほうだよ!(笑い)。良美:今年はヒロリンがデビュー45周年で、私が40周年。その節目の年がコロナ禍に見舞われてしまって。宏美:これだけ長い間、歌えないのは初めての経験でしたが、そのおかげで自分がいかに歌が好きかを再確認することができた。近所に住むヨシリンと会う機会も増えて、悪いことばかりではなかったと思いますね。良美:私もそう。姉妹で過ごす時間が楽しかったし、歌への思いも強くなった。これからも一緒に頑張っていきたいですね。【プロフィール】岩崎宏美(いわさき・ひろみ)/1958年11月12日生まれ、東京都出身。『スター誕生!』合格を経て1975年『二重唱(デュエット)』でデビュー。以後『ロマンス』『思秋期』『聖母たちのララバイ』などヒットを連発し、ミュージカルでも活躍。2017年『美女と野獣』でディズニー映画の声優デビューを果たす。CD『LIVE BEST SELECTION 2012-2020 太陽が笑ってる』が12月2日発売。岩崎良美(いわさき・よしみ)/1961年6月15日生まれ、東京都出身。1978年、女優として芸能活動を開始し、1980年『赤と黒』で歌手デビュー。以後『涼風』『タッチ』などをヒットさせる一方、ドラマやミュージカルでも活躍。アニメ『おさるのジョージ』(NHK Eテレ)では主題歌・ナレーションを担当。CD『Chanter chanter chanter』発売中。◆撮影/二石友希、写真/近代映画社※週刊ポスト2020年11月27日・12月4日号
2020.11.24 16:00
週刊ポスト
告別式で飾られた西城さんの特大パネル。歌声はいまもファンを魅了する(撮影/小彼英一)
西城秀樹さん妻が明かす子供達の今と「内田也哉子からの手紙」
 生前、子供たちを「宝物」と言い、深い愛情を注いできた西城秀樹さん(享年63)。それだけに、3人の子供たちも父を亡くした喪失感から立ち直るために時間が必要だった。三回忌を前に妻の美紀さんが明かす「子供たちの成長」の記録──。 人々を熱狂の渦に巻き込み、数々の伝説を築いてきた昭和の大スター・西城秀樹さんが急逝したのは、2018年の5月16日。その三回忌が、目前に迫っている。 ワイルドな彼の“絶唱”をもう一度見たいと願うファンの声は後を絶たない。その声にこたえるように、命日には『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などでの歌唱シーンや、バラエティー番組のトーク映像などを収録したDVDが発売される。 ほかにも、三回忌にあたり在りし日の西城さんの姿を目に焼き付けることができる、さまざまなイベントが計画されていた。大阪と広島では、若い頃の秘蔵写真や実際に着用した衣装などを展示する写真展が、東京ではコンサートやテレビ局の蔵出し映像などを上映するフィルムコンサートも開催予定だった。しかし、新型コロナウイルスの影響で、DVDは発売されるものの、イベントは延期や中止を余儀なくされてしまったのだ。「1年かけて準備してきたので、本当に残念です。何より楽しみにしてくれていたファンのかたがたに申し訳なくて…三回忌も、お世話になったスタッフのかたをはじめ皆様にお声がけしていたのですが、感染拡大防止のため、大幅に縮小して近親者のみで行うことになりました。秀樹さんが生きていたら、『みなさんの健康を最優先に』って絶対に言うと思うから。私たち家族はこの2年間、『こんなとき、秀樹さんならどう言うかな』と、いつも考え続けてきました」 西城さんの妻・木本美紀さん(48才)は、静かにそう胸の内を明かしてくれた。 西城さんがこの世を去ってから2年が経ち、美紀さんをはじめ残された家族の心境も少しずつ変化してきたという。  2003年を皮切りに、計8回脳梗塞を患い、長年リハビリを続けてきた西城さん。快方に向かっていると思われた矢先、家族団欒の最中に突然倒れて病院に搬送され、家族に見守られて旅立った。「秀樹さんが倒れてからしばらく私の記憶は断片的なんです。寂しくて不安で、でもやらなければならないことはたくさんある。だから必死で、2018年はあっという間に過ぎた感じでした。昨年、一周忌が終わったあたりから落ち着きを取り戻し、ようやく悲しみを実感する余裕が生まれたように思うんです」(美紀さん・以下同) 3人の子供たちは、そんな美紀さんの心中を察していたのだろうか。亡くなって1年ほどは、大好きなパパとの思い出を口にすることはなかったそうだ。「きっと子供たちなりに気を使って、張り詰めていたんでしょうね。“家族みんなで”とか“5人で”という言葉を口にしてはならないかのような雰囲気が生まれていたんです。子供たちが『家族みんなで旅行した石垣島にまた行きたいね』とか『パパが好きだった旅館にまた泊まりたいね』と自然と口にするようになったのは、ここ最近のことです」 特に美紀さんが胸を痛めたのは、4月に高校3年生になった長女の異変だという。お父さんっ子で、脳梗塞の後遺症を抱えていた西城さんの手伝いも率先して行っていたという長女は、亡くなった後も気丈にふるまっていたそうだ。「長女ならではの責任感で、私や弟たちに心配をかけまいと気を張っていたのだと思います。本当は、とても悲しくて寂しくてつらかっただろうに、それを見せなかった。でも、昨年の秋頃から精神的に不安定な様子を見せることがあって。きっと、張り詰めていたものが解けて、一気に喪失感が襲ってきたのでしょう」 西城さんに似て、優しくて純粋だという長女は、進路について考えている真っ最中。「パパのように人を笑顔にする仕事がしたい」と、看護や介護の道に興味を持っているという。◆内田也哉子さんが手紙をくれて… 高校2年生の長男と高校1年生の次男も、それぞれ未来に向かって歩み始めた。サッカーが得意な長男は、昨年4月、プロサッカー選手を多く輩出する強豪校に進学し、寮生活を送っている。「小さい頃から『ぼくはネイマールになるんだ!』なんて言っていて。それを聞いた秀樹さんは、『そうか、がんばれよ!』と励ましていましたね。まだ道半ばですが、まさかここまでがんばれるとは、私も驚いています。 次男はインドア派。絵を描いたり、映画や演劇、音楽に親しんでいます。 面白いことに、2人とも父親の身長を抜くのが目標のようなんです。秀樹さんは長身(181cm)で、息子たちはまだ170cmそこそこですが、たくさん牛乳を飲んで毎日のように身長を測っていますよ(笑い)」 子供たちに西城さんの面影を見ることも増えた。長男は20代後半~30代の日焼けして髪が短かった頃の西城さんに、次男は10代の頃の西城さんによく似ているそうだ。「ぜひ芸能界デビューを」と望むファンからの声もあるが、現状、子供たちはその道は考えていない。「3人とも秀樹さんが40代後半になってから生まれた子ですし、秀樹さんの過去の苦労時代を全く知りません。デビュー当時は、レコードを売るために車で全国を回り、車中で寝泊まりしていたそうですし、大変な世界だというのは私もわかっているつもりです。秀樹さんも“普通に”育ってくれればいいと、いつも言っていました」 しかし、西城さんが生きた芸能界とのつながりはいまも深く、それが家族の支えにもなっている。“新御三家”の1人で親友だった野口五郎とは、いまもつきあいが続いている。「五郎さんは、まるで親戚のおじさんのように子供たちのことを気にかけてくれていて、3~4か月に1度、子供たちも含めた食事会を開いてくださるんです。五郎さんのお子さんたちと、うちの子たちが同じ年代ということもあって、子供同士もLINEで連絡を取り合っているんですよ。 浅田美代子さんもお手紙をくださったり、岩崎宏美さんがクリスマスカードをくださったり。みなさんの温かいお気持ちに支えられていると実感しています」  生前の西城さんが“芸能界の姉”と慕っていた樹木希林さん(享年75)とも不思議な縁で結ばれている。ドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)での共演を機に2人は交流を深め、樹木さんは西城さんを弟のようにかわいがっていた。 その樹木さんは、西城さんが亡くなってから4か月後、“弟”の後を追うようにこの世を去った。「昨年、東京で秀樹さんのパネル展を開催したのですが、偶然にも、同じ時期にすぐ下のフロアで希林さんのパネル展をやっていたんです。見に行った際、お菓子と手紙を届けたら、後日、也哉子さん(樹木さんの一人娘の内田也哉子)がお手紙をくださったんですよ。このような接点が生まれるなんて驚きましたが、生前からのご縁が導いてくれたのかもしれません」 晩年は自分のことより家族の今後ばかりを案じていたという西城さん。空の上から降り注ぐ西城さんの温かな眼差しに見守られながら、最愛の妻子は、新たな一歩を踏み出そうとしている。※女性セブン2020年5月21・28日号
2020.05.15 07:00
女性セブン
家ごもりGWはさんま主演『男女7人秋物語』を キャストに意外性
家ごもりGWはさんま主演『男女7人秋物語』を キャストに意外性
 自宅待機の中で時間を持て余す人も少なくないのではないか。その上、楽しみにしていた新ドラマの放送も延期となり、悶々とする日々──そんなあなたの心を満たすため、放送作家の山田美保子さんが「昔といまを見比べる」をテーマに過去の名作ドラマをセレクトした。 今回はキャスティングの妙で芸能史に名前を残す『男女7人秋物語』を紹介。リアルタイムで見てないかたはもちろん、見ていたかたも再見必至です【『男女7人秋物語』】・TBS 1987年10月~・出演:明石家さんま・大竹しのぶ・岩崎宏美・片岡鶴太郎 ほか・主題歌:『SHOW ME』森川由加里・脚本:鎌田敏夫・あらすじ:恋人の桃子(大竹しのぶ)が渡米してから1年。良介(明石家さんま)は音信不通になっている彼女を待ち続けていた。ある日フェリーの中でアメリカにいるはずの桃子と偶然再会。しかし彼女の隣には男性の姿が。ショックを受けた良介は貞九郎(片岡鶴太郎)と新しい恋を見つけようとするが、桃子を思いきることができず…。以下、山田さんの解説だ。 * * * いまでこそ、芸人さんがドラマで二枚目を演じるのは珍しくありませんが、その先駆けとなったのが、明石家さんまサン(64才)の『男女7人夏物語』(1986 年・TBS系)とその続編『男女7人秋物語』です。 まだ、さんまサンとお仕事をしていない頃の作品なので、見ると何だか照れてしまいますが(笑い)、この2作のさんまサンは本当にカッコイイと思います。 特に『~秋物語』は、視聴者の多くが応援していた「美樹」(岩崎宏美サン・61才)ではなく、すったもんだの末、「桃子」(大竹しのぶサン・62才)を選んだ「良介」(さんまサン)は素敵だったし、その後、プライベートで、おふたりが本当に結ばれてしまったのも、ドラマ史に残ることとなりました。別れちゃいましたけど(苦笑)。 でも、いまも、さんまサンとしのぶサンは「さんちゃん、しーちゃん」の頃同様、素敵な関係。芸能史に残る“元ご夫婦”だと思います。 キャストの豪華さや、「え? この人をもってくる?」という意外性は、『~夏物語』からの流れ。さらにさかのぼれば、同じ鎌田敏夫さん脚本の『金曜日の妻たちへ』(1983年~・同)シリーズからの流れでもあります。 オリジナルのドラマは、その時代の空気や特徴を鮮明に描いているものですが、この頃の「鎌田作品」に描かれた大人の恋愛には、「あぁ、みんな、こんなに一生懸命、恋していたんだなぁ」と思わされます。 ケータイ電話が出てくる前の話だから「ダイヤルを回した手を止めちゃう」(『金曜日の妻たちへIII・恋におちて』の主題歌)わけですよね。 そのケータイの出現について、さんまサンは『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)の後半で、「待ちぼうけ、すれ違い、はち合わせという恋愛の三大ドラマをなくした元凶」との名言を。さすがです!◆構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキング』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。
2020.05.04 07:00
女性セブン
美人姉妹を大研究(Getty Images/時事通信フォト)
芸能界美人姉妹列伝 トクをするのは姉妹どっちか
 広瀬すず・広瀬アリス姉妹など、美人姉妹が昨今の芸能界を席巻している。日本中が注目する10組についてまとめてみた。●姉妹同時の大ブレイクで時代の寵児に【姉】広瀬アリス(24・女優)【妹】広瀬すず(20・女優) 映画『海街diary』『ちはやふる』から朝ドラ『なつぞら』で妹・すずがリードしているが、2017年の朝ドラ『わろてんか』などで姉・アリスの評価も上昇。現在、姉妹ともに売れっ子女優として引く手あまた。●人気女優筆頭株の妹を整形告白した姉が追う【姉】有村藍里(28・グラドル)【妹】有村架純(26・女優) 姉・藍里は2006年頃から「新井ゆうこ」として活動。妹・架純は2010年のデビュー後、2013年のNHK朝ドラ『あまちゃん』で脚光を浴び、2017年には同『ひよっこ』でヒロインに。姉は今年美容整形をしたことで話題に。●平成を代表する美人姉妹といえば、この2人【姉】石田ゆり子(49・女優)【妹】石田ひかり(47・女優) 16歳の姉・ゆり子が自由が丘でスカウトされた数日後、13歳の妹・ひかりも同じ事務所に二子玉川でスカウトされた。ドラマ『あすなろ白書』主演などで姉より早く脚光を浴びたひかりだが、現在はゆり子も癒し系女優として人気を博す。●ともに代表作を持つ稀有な大物女優姉妹【姉】倍賞千恵子(77・女優)【妹】倍賞美津子(72・女優) 女優ながら姉妹ともに売れた稀有な例。姉・千恵子は映画『男はつらいよ』、妹・美津子は『3年B組金八先生』などが代表作。●正反対のイメージで棲み分け上手な姉妹【姉】荻野目慶子(54・女優)【妹】荻野目洋子(50・歌手) 姉は1979年デビュー。1983年『南極物語』で人気上昇。妹は1984年にソロデビュー。一昨年、『ダンシング・ヒーロー』で再ブレイク。●松田優作を射止めた妹と18歳年下男性と再婚した姉【姉】熊谷真実(59・女優)【妹】松田美由紀(57・女優) 母・清子はねじめ正一氏の小説『熊谷突撃商店』『熊谷キヨ子最後の旅』のモデル。姉妹の話も出てくる。●姉・美穂の芸能活動再開で姉妹共演の期待も【姉】中山美穂(49・歌手/女優)【妹】中山忍(46・女優)『世界中の誰よりきっと』などの大ヒット曲を持つ姉・美穂に水をあけられていた妹・忍だが、地道な積み重ねで存在感のある女優に成長。●32年目で初共演した和服の似合う美人姉妹【姉】真野響子(67・女優)【妹】眞野あずさ(61・女優) 1973年デビューの姉、1982年デビューの妹の初共演は、2014年のテレビ東京系のドラマ『マトリの女』。●『聖母たちのララバイ』『タッチ』ともに大ヒット曲を持つ実力派姉妹【姉】岩崎宏美(60・歌手)【妹】岩崎良美(57・歌手)「ヒロちゃん」「ヨシリン」と呼び合う仲良し姉妹。実は、一般人の長女がいる三姉妹。●今や紅白常連ユニット姉妹ならではハーモニーで魅了【姉】安田祥子(77・声楽家)【妹】由紀さおり(70・歌手) 当初は別々に活動していたが、1980年代半ばから姉妹でコンサートを始め、昨年まで姉妹で10度紅白歌合戦に出場。※週刊ポスト2019年6月21日号
2019.06.11 16:00
週刊ポスト
美人姉妹を大研究(Getty Images/時事通信フォト)
芸能界・スポーツ界の姉妹は“妹優位”という説は本当か
 芸能界やスポーツ界の姉妹は、妹のほうが大成する──。巷に囁かれているこの説は本当なのか。国際基督教大学教養学部元教授の磯崎三喜年氏(社会心理学)はこう話す。「概して姉は大事に育てられ、親からの期待や注目を集めます。その環境下で、妹はどうやって注意を引こうかと考える。そのため、姉は慎重になりがちですが、妹は思い切りよく変化する勇気を持っている。型破りな性格がこの2つの分野では生きてくるのです」 芸能界デビューした姉妹を見ると、原田知世(姉・貴和子)や松たか子(姉・松本紀保)、上野樹里(長姉・DJ SAORI、次姉・まな)、有村架純(姉・藍里)など、女優は特に“妹優位”の傾向が強くなる。 磯崎氏の言葉を裏付けるように、当代随一の人気姉妹である広瀬アリス・すずは雑誌の対談でお互いをこう語っている。〈すず:お姉ちゃんは考えて考えて……ってタイプ。(中略)アリス:すずは直感型〉 歌手では、岩崎宏美と良美、中山美穂と忍のように、一見“姉優位”にも見えるが、妹も負けじと存在感を出している。芸能論家の宝泉薫氏が分析する。「女優はいろいろな役柄をこなせるし、違う味を出しやすい。一方、歌手は声が似ているし、どうしても二番煎じに見られてしまう。差別化に苦労するため、先に世に出た姉のほうが有利になります。しかし、岩崎良美も中山忍も、女優業をきっかけに新境地を開拓しました」 良美は歌手デビューから4年後の1984年、ドラマ『スクール☆ウォーズ』でラグビー部のマネージャー役に。このときの演技が評判を呼び、翌年には『タッチ』という大ヒット曲を生んだ。忍は1988年に歌手デビューしたものの、実質2年間で歌手活動休止。1990年代から女優業に絞ると、現在では“2時間ドラマの新女王”と呼ばれるまでに成長した。◆スポーツ界はどうなっているか スポーツ界に目を移しても、傾向は変わらない。テニスの大坂まり・なおみ、フィギュアスケートの浅田舞・真央、スピードスケートの高木菜那・美帆、レスリングの伊調千春・馨など、日本を代表する姉妹たちも妹の活躍がより目立っている。 姉の影響を受けて育った大坂なおみが3歳、高木美帆が5歳から競技に取り組んだように、妹のほうが競技開始年齢が早くなる利点もある。だが一方で、“妹”という環境こそがその後のアスリートとしての成長に大きく関係しているという。「子供の頃、妹は姉と比べて身体も小さいし、知識も少ない。負けて当たり前という状態からスタートするため、我慢強く、ヘコたれず、反骨心も備わってくる。スポーツに必要なメンタリティーが自然と身に付いていくのです」(前出・磯崎氏) 実際、大坂なおみは雑誌取材で幼少期をこう振り返っている。〈毎日姉にコテンパンに負けていました。でもなぜ勝てないのか理解できず、毎日負けたことに怒って、明日は勝ってやると挑戦し続けていました〉 一方で、妹に後塵を拝しがちな姉の奮闘も見逃せない。平昌五輪では、高木姉妹が女子スピードスケート団体パシュートで金メダルを獲得。カーリング女子で銅メダルに輝いた「LS北見」では吉田夕梨花、知那美という姉妹が存在感を発揮した。「高木菜那は天才的な妹・美帆がいる中で、どう自分のポジションを確立するか考えたのでしょう。それが団体戦と個人のマススタートでの金に結びついた。兄弟と比べて、姉妹は中学生くらいになると、お互いの良さを認め合える。これも大きいでしょう」(磯崎氏) 芸能界でも同じことが言えるという。前出・宝泉氏が語る。「顔や経歴も含め、まったく同じタイプは、1人いれば十分。姉妹は何らかの差別化が必要です。たとえば、荻野目姉妹は慶子が女優、洋子が歌手ですし、スキャンダルの有無もあり、姉妹ながらもまったく異なる色を出せています。石田ゆり子、ひかりは外見が似ていませんし、未婚と既婚という生き方の違いもあります」 1990年代前半は妹のひかりがNHK朝ドラの主演や紅白歌合戦の司会を2度務めるなど時代の寵児となっていたが、最近は姉のゆり子がドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』などの好演で脚光を浴びている。裏を返せば、姉妹同時の大活躍は困難を極めるというのが現実だ。「最近、広瀬アリス・すず姉妹は姉のアリスが猛追し、2人とも女優として引っ張りだこになっている珍しいケース。荻野目、石田姉妹を含め、彼女たちはいずれも兄か姉がおり、一番上ではない。その影響もあるのでは」(宝泉氏) 姉なくして妹なし、妹なくして姉なし。切磋琢磨する姉妹が日本を盛り上げている。※週刊ポスト2019年6月21日号
2019.06.11 07:00
週刊ポスト
「爆報!THEフライデー」の内容が問題に
高視聴率のTBS音楽特番、本当に“超貴重映像”満載だった
 2月11日、『歌のゴールデンヒット』(TBS系)が約4時間にわたって放送された。5回目の特番となる今回は『昭和・平成の歴代歌姫ベスト100』をテーマに取り上げ、オリコン集計開始の1968年から2018年までのデータで作成した女性歌手(ソロ、デュオ、グループ)のシングル総売上ベスト100を発表し、12.5%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)という高視聴率を獲得した。その理由はどこにあったのだろうか。 著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の中で、歌番組の歴史についても構造的に解析している芸能研究家の岡野誠氏が細かく分析する。 * * *『歌のゴールデンヒット』を紹介する新聞のテレビ欄には〈▽今夜しか見られない超貴重映像を大放出!〉という文言もあった。本当に“超貴重映像”だったのかを検証してみよう。 過去映像中心の番組の場合、いかにオリジナリティを出せるかに命運がかかっている。言い換えれば、PVやMV、ライブなどの映像よりも、TBS独自の素材が求められている。 4時間以上に及ぶ番組内で、ベスト100と番外編などを含め過去の歌唱シーンは144本オンエアされた。番組上のテロップを参考に調べると、TBSオリジナル映像は113本。全体の78.5%にも上った。内訳は以下の通りだ(番組名にはそれぞれの関連番組を含む。『輝く!日本レコード大賞』であれば『速報!日本レコード大賞』、『うたばん』であれば『とくばん』など)。【1位】31回:輝く!日本レコード大賞【2位】21回:コンサート映像(歌手のビデオやDVDなど)【3位】16回:ザ・ベストテン【4位】14回:COUNT DOWN TV【5位】10回:記載なし1(おそらくPV、MVと推測される)【6位】9回:うたばん【7位】8回:日本有線大賞【8位】7回:8時だョ!全員集合【9位タイ】3回:トップスターショー歌ある限り、記載なし2(*注)【11位】2回:JNN音楽フェスティバル【12位タイ】1回:高島忠夫とヒット歌謡大全集、植木等ショー、ロッテ歌のアルバムなど多数【*注:イントロクイズとして出題された森昌子、八代亜紀、岩崎宏美の映像はクレジットの記載がなかったが、映像背景や歌の年代、字幕スーパーなどからTBSオリジナルと判断】 このTBS独自映像113本を年代別に分けてみよう(カッコ内は全体の本数。『歌のゴールデンヒット』内での表記はあくまで曲の発売年だが、番組名のクレジットなどからいつの年代の映像か判断した)【1960年代】8本(8本中)/100.0%【1970年代】33本(35本中)/94.3%【1980年代】22本(30本中)/73.3%【1990年代】33本(49本中)/67.3%【2000年代】10本(14本中)/71.4%【2010年代】7本(8本中)/87.5%【合計】113本(144本中)/78.5% 1980年時点でビデオデッキ普及率は2.4%に留まっていた。つまり、視聴者が録画素材をほとんど持っていない1970年代の映像の価値は必然的に高くなる。 ビデオデッキ普及率が2ケタ未満だった1982年以前の独自映像をカウントすると、48本。全144本の歌唱シーンのうち、33.3%が特に超貴重映像だったと言える。 これに加え、1970年代の藤圭子やキャンディーズ、南沙織、麻丘めぐみ、高田みづえの『8時だョ!全員集合』でのコント、ドラマ『時間ですよ』での堺正章と天地真理のシーンもオンエア。なかなかお目にかかれない映像を繰り出すことで、『歌のゴールデンヒット』の価値は高まっていった。 1970年代に『ザ・ベストテン』や『全員集合』などテレビ史に残る大ヒット番組を放送し、“民放の雄”と呼ばれたTBSだからこそ、12.5%の視聴率が獲れたという見方もできる。 1980年代以降の独自映像の比率はやや低くなるが、それでも70%前後をキープしている。たとえば、1990年に忌野清志郎と坂本冬美が『DAYDREAM BELIEVER』を歌うシーンもオンエアされた。同年に行なわれたイベント『ロックの生まれた日』の映像で、1990年5月25日放送の『ロックが生まれた日』(※番組でのクレジット、当時の新聞にも“ロックの”ではなく、“ロックが”と記載)の一部と思われる。 ビデオデッキ普及率は1990年には既に60%を超えていたが、まだまだビデオテープは高価な時代であり、放送時間が深夜24時50分からだったため、“超貴重映像”と言えるだろう。◆TBSが豊富なオリジナル映像を保持しているワケ『歌のゴールデンヒット』のテレビ欄に書かれていた〈▽今夜しか見られない超貴重映像を大放出!〉という謳い文句に偽りはなかった。なぜ、TBSはこれほどオリジナル映像を保持しているのか。 振り返れば、歌番組の大きなブームはTBSから始まっていた。1959年12月27日、第1回の『日本レコード大賞』の受賞発表が行なわれる。TBS(当時のKRT)は3日後の30日、録画で午後3時5分から35分間放送。1969年には大晦日のゴールデン帯で生中継し、高視聴率を獲得した。すると、翌年にTBS以外のテレビ・ラジオ民放8局が『日本歌謡大賞』を立ち上げる。1970年代中盤には各局に音楽祭が乱立し、“賞レースブーム”が巻き起こった。 1978年1月、TBSは4つの基準を元に独自のランキングを作成して10位から週間順位を発表していく『ザ・ベストテン』を開始。当初は10%台後半だった視聴率は、10月以降25%を下回ることなく、翌1979年には30%台を連発する。これを見た他局もランキング番組を続々と作った。 1980年代後半から音楽祭の視聴率が低下していき、1990年代前半には各局が撤退していく。『日本歌謡大賞』も1993年限りで終了した。その中で、TBSは『日本レコード大賞』を継続。『ザ・ベストテン』は1989年9月限りで幕を閉じたが、1992年10月から土曜20時台で『COUNT DOWN100』という新たなランキング番組を始め、1993年4月からは土曜深夜帯で『COUNT DOWN TV』に衣替えし、現在も放送中だ。 TBSは先駆者として放送音楽界を牽引し、試行錯誤しながらも継続してきた。そのため、『歌のゴールデンヒット』ではどの年代でも高い確率でオリジナル映像を放送できた。 現在、TBSにはゴールデン帯のレギュラー歌番組がない。他局を見ても、特番の歌番組では数字を獲れても、毎週の放送となると現状は厳しい。そんな時代だからこそ、先駆者のTBSが新たな歌番組に挑戦してほしいとも感じた。※参考文献:『TBS50年史』●文/岡野誠:ライター・芸能研究家・データ分析家。研究分野は田原俊彦、松木安太郎、生島ヒロシ、プロ野球選手名鑑など。一時、『笑点』における“三遊亭好楽ドヤ顔研究”を試みるも挫折。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)は、『ザ・ベストテン』の本邦初公開と思われる年別ランクイン数の順位、田原俊彦の出演シーンを詳細に振り返るなどの巻末付録も充実している。
2019.02.23 16:00
NEWSポストセブン

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