◆面接で、媚びることなく直球で物申す
──ライブドアの後、2010年にコンデナスト・デジタル社へ移り、『VOGUE』『GQ JAPAN』『WIRED』のウェブサイトとデジタルマガジンの収益化を進められました。
田端:ある時ヘッドハンターとランチをしていたんですね。その時点で、ヘッドハンターは社名を出さなかったんだけど、ビジネスの内容や会社の状況を聞いて、これはコンデナストのことを言ってるなと、すぐにピンときた。で、(当時の)社長の斎藤(和弘)さんは、スーパースター編集者だから、コンデナストだったら僕は興味がありますと言いました。
反対に言えば、コンデナスト以外だったら、面接に行く気はなかったんです。当時、紙の出版社がデジタル化を進めていた時期で、ヘッドハンターから同様のお誘いを色々受けていたんですが、本気じゃないところも多かったので。でも、斎藤さんがデジタル化にあたって右腕を探しているというなら、ぜひお会いさせてくださいと。
──斎藤和弘氏は『BRUTUS』の編集長を経て、2001年にコンデナスト・パブリケーションズ・ジャパンの代表取締役社長に就任。『VOGUE』の編集長も務めていたカリスマ編集者。斎藤さんとの出会いがあったんですね。
田端:実は後日談があって、斎藤さんに会った時に、話し出して10分後くらいには「俺、社長をやめることにした」と宣言されたんです。ここ2、3年、デジタルを真剣に考えたんだけどわからないと確信したから、やめると。僕は「えー!!」って。斎藤さんの右腕になれるならと思って面接に来たのに、話が違うじゃないかと。
「次に社長になるやつを呼んであるからと、そいつと話してね!」と斎藤さんは会議室を出ていかれました。正直ね、一人で待たされている間に、帰ろうかな? と思いました。正直な会社だなとは思ったけど、話が違うじゃねえか!? と、むっとしていたんで(笑)。そうしたら今の社長の北田(淳)さんが入ってこられて、ああ、君のことは内田(正剛)君から聞いてるよと仰ったんですね。電通の内田さんは、僕がR25を立ち上げたときに、さんざんお世話になった恩人。じゃあちょっと話そうかという雰囲気になったんです。
ただ、もはや入れてもらいたいとは思ってないから、俺はぶっちゃけこう思います、ああ思いますって、媚びることなく直球で言いました。このソーシャル時代に、VOGUEみたいにツンとすました高嶺の花みたいな美人なんて、逆にモテないですよ、とか好き勝手言いまくりました。で、カルチャーに合わないから落とされるだろうと思っていたら、ますます気に入ったみたいな感じの反応が返ってきて、え、そうなんだ!? それじゃあと意気に感じて、気持ちが傾いていったわけです。