〈あるときピアノを弾いていて、こう思ったのです。
「あれ? なんか前より自分の音が好きだな」
よーく耳を澄ましたら、音が変わっていました。
その音は、前に習っていた先生の音ではなくて、私の「こころのおと」になっていたのです。
それで、初めてピアノと友達になれたのです。
田中先生と会う前までは、音楽は好きでしたが、ピアノを好きだと思ったことはありませんでした〉
「こころのおと」を手に入れた娘を連れ、福徳さんは全国のピアノコンクールを回った。恭子さんが回想する。
「私はまだ障害を受け入れられなかったけど、夫はあすかを連れて、いろいろなコンクールに挑戦しました。夫はあすかに生きる希望を与えて、何とか障害を軽くしようと必死に頑張っていました」
牢屋のような病室に閉じ込められていた時は暗く沈んでいたあすかさんの表情が日増しに明るくなり、生き生きとしてきた。それとともに彼女の奏でる魂の旋律が多くの人の心をとらえてゆく。
2006年の第12回宮日音楽コンクール。ハイレベルで知られるこの大会で、あすかさんは見事グランプリに輝いた。
「私は飛び上がるほど驚きました。あすかは『これはドッキリだ』と思っていたみたいです(笑い)」(福徳さん)
大きな自信を得たあすかさんは躍進を続けて、2009年にカナダで開催された第2回国際障害者ピアノフェスティバルでは銀メダル、オリジナル作品賞と芸術賞のトリプル受賞を果たした。
2011年には宮崎市の清武文化会館半九ホールで初のソロリサイタルを開催した。最後の曲を終えると、万雷の拍手があすかさんと両親を包んだ。
※女性セブン2018年7月12日号