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2018.06.30 07:00  女性セブン

22才で発達障害がわかったピアニストの本音「ほっとした」

「このままひとりの障害者とその両親として、ずっと世間の片隅でひっそりと暮らすという未来しか想像できませんでした。私たちには、夢も希望もありませんでした」(福徳さん)

 だが、あすかさんの受け止め方は違った。“みんなと違う”ことに悩んでいた彼女は発達障害とわかって、「だから私はみんなと同じようにできなかったんだ」と納得して、安心したのだった。あすかさんは暗い顔をした両親に明るくこう告げた。

「障害者の認定を受ければ、治療費が安くなるんだって。だから障害者の申請をしたい」

 障害者手帳を取得することは、つらい現実を受け入れて、世の中に娘が障害者だと知らせることを意味する。福徳さんは躊躇した。

「父親としては、やっぱり娘には普通の結婚をして幸せになってほしかった。障害者手帳を持っていたら、あすかの恋愛や結婚の弊害になるのではと思い、なかなか受け入れられなかった」(福徳さん)

 そんな最中にまた大事件が起きる。あすかさんが解離の発作を起こして自宅の2階から飛び降り、右足を粉砕骨折する大けがを負ったのだ。

 後遺症が残り、車いすと杖が欠かせなくなった。さらなる悲劇に見舞われてますます出口が見えなくなったが、福徳さんは困難にめげないあすかさんの姿を見るうち、徐々に気持ちが変化していった。

「このままじゃいけないって思い始めたんです。娘の障害を受け入れるところからスタートするしかない。世間の片隅にとどまるのではなく、何とかしてあすかと社会がつながる方法を探して、彼女を世の中に出そうと思ったんです。目標を持って一生懸命取り組むことを持たせてやれれば、症状だってよくなるはずだと考えました」(福徳さん)

 あすかさんが一生懸命取り組めるもの──それはピアノに他ならなかった。娘がピアノに集中できるよう、夫婦はあることを決めた。

「夫が単身赴任から戻って3人で暮らすようになりましたが、あすかは2人以上を相手にする人間関係が苦手なので、夫婦で話し合って、あすかの生活の主導権を夫が握ることにしました。私はどうしても細かいことを注意してしまうので、心の広い夫の方が娘には適している。夫にバトンタッチしてから、あすかはのびのびと生活するようになりました」(恭子さん)

 この頃、田中先生は人と違うことを意識するあすかさんをそのまま受け入れて、「あなたはあなたのままでいい」と伝えた。この言葉に勇気をもらった彼女は大きく成長した。

 田中先生の指導でピアノに「開眼」した時の様子をあすかさんは手紙にこう書く。

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