村山家と朝日新聞の間にはかつて「40年戦争」と呼ばれる対立があった。原因は村山家が“物言う大株主”として、人事や編集方針に口を出したことによる。
2008年6月、美知子社主が朝日新聞側の説得に応じ、約37%あった株のうち、約12%をテレビ朝日に譲渡、約10%を香雪美術館に寄付。筆頭株主の座を譲った(現在は約11%で3位)。「3人委員会」とは、この時、尽力した当時の秋山耿太郎・朝日新聞社長(現顧問)、広瀬道貞・テレビ朝日会長(現顧問)、そして藤木氏のことを指す。
「今後、美知子社主の持つ株の相続についての議論が行なわれる。“朝日側”と見られる後見人の判断に注目が集まります」(同前)
朝日新聞社株の相続を受ける資格のある直系親族は、美知子社主の甥の恭平氏のみ。恭平氏が言葉を選びながら語る。
「人工呼吸器を着けて伯母を苦しめることにも、外して死なせることにも断固反対です。吉田先生は、この問題に言及すると、後見人の権限を盾に議論を打ち切ってしまい、自分の決定を強要します」
吉田氏には、介護スタッフの馘首問題を含め質問書を送り、連絡を続けたが返事はなかった。藤木氏は、「(美知子社主)ご本人に確認を取れる状態にない」と言うのみで、朝日新聞は「村山社主のプライバシーに関することなので、お答えできることはない」(広報部)と、返答を控えた。
後見人トラブルというこの“時事ネタ”が、朝日新聞で報じられることはあるのだろうか。
※週刊ポスト2018年7月20・27日号