このような心の歴史を知るうえで恰好の書物をあげると、まずはさきにふれた『万葉集』。この日本最初のアンソロジーには、愛の歌(相聞歌)と死の歌(挽歌)が二本立てになっているが、その背景にはさきの「もがり」の観念にもとづいて人間の愛恋の思いは、その愛する人の死においてこそきわまるという思想が見え隠れしている。
つぎに紫式部の『源氏物語』【2】。そこには一般にいわれるように「もののあはれ」の美意識が語られているが、同時に「もののけ」という死の恐怖や不安をはらむキーワードがいたるところにはりめぐらされている。
鴨長明の『方丈記』【3】はどうだろうか。阪神淡路や東北地方の大震災で知られるようになったが、世間と人間の運命がいかに無常にいろどられているかが克明、微細に描かれている。そこにはほぼ同時代の『平家物語【4】の冒頭におかれた「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」とともに、生者必滅つまり生死一体の人生観がまさに国民的なリズムとなって切々と語られている。
世阿弥が残した能の理論書『風姿花伝』【5】も捨てがたい。とくにかれの夢幻能と呼ばれる作品では、主人公(シテ)はほとんど亡霊で、その死者の嘆きと口説きのなかに死と霊界の消息が色濃くにじみでている。
このようにみてくるとき、わが国の文学の主流が生と死のダイナミズムのなかで語り継がれてきたことがわかるだろう。